Asinus's blog

西牟田祐樹のブログです。

イシドルス『語源』翻訳 VI. 4 『翻訳者について』

はじめに

テキストはOroz Reta J. and Marcos Casquero, M.-A (eds), Etymologias: Edition Bilingüe, Madrid, 1983. を使用した。Berney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳を参照した。Oroz Reta J. and Marcos Casqueroの西訳とIsidoro di Siviglia, Etimologie o origini, primo volume, a cura di Angelo Calastro Canale, UTET, 2004.の伊訳も参照した。

本章の内容についての日本語の概説書として秦剛平七十人訳ギリシア聖書入門、講談社、2018がある。

内容が理解しやすいよう適宜改行を行なった。

翻訳

このプトレマイオス1はさらに大祭司エレアザルから旧約聖書を求めて、七十人(セプトゥアギンタ, septuaginta)の翻訳者たちがヘブライ語からギリシア語へと旧約聖書を翻訳するように取り計らった2。それぞれの翻訳者が個室に隔離されたにも関わらず、すべての文書は精霊によって翻訳されたので、彼らの写本にはいかなる他の翻訳者との[内容の]相違や言葉の配列の相違も見つからなかった。

他にも聖書(sacra eloquia)をヘブライ語からギリシア語へと翻訳した翻訳者たちがいた3。例えばアクィラ4、シンマコス、テオドティオン5がそうである。さらに一般の(vulgaris)、著者が明らかではない聖書の翻訳がある。翻訳者の名前が知られていないことから、この翻訳はQuinta Editio(第五の訳)と呼ばれている6。その後にオリゲネスが驚くべき労力で第六と第七の訳を見つけ出し、他の翻訳と比較した。

三つの言語に通じている7司祭ヒエロニムスもヘブライ語からラテン語へと聖書を翻訳し、雄弁に移し替えた。彼の価値のある翻訳は他の翻訳よりも優先された。なぜなら彼の翻訳は他の訳よりも言葉が忠実であって、文意が明瞭である<そして彼がキリスト教とであることから、翻訳はより真正である>からである8


  1. プトレマイオス2世、プトレマイオス・フィラデルフォスのこと。

  2. 以下の史実ではない伝説は『アリステイデスの手紙』の内容である。この部分はアウグスティヌス神の国』18巻42章が参照されている。

  3. 以下はアウグスティヌス神の国』18巻43章が参照されている。オリゲネスについてはアウグスティヌスの方には言及がない。

  4. ギリシア語の文法に反するほどに逐語的なヘブライ語からの翻訳を作成した。

  5. オリジナルな翻訳ではなく、ヘブライ語テキストに基づいた七十人訳の改訂を行った。

  6. アウグスティヌスの対応箇所では"et vulgaris"がない。ここでの文脈はquinta editioはギリシア語訳であることが適合する。七十人訳が第一、アクィラが第二、シンマコスが第三、テオドティオンが第四訳、それに続くのが第五訳ということである。しかしイシドルスはわざわざヴルガタ訳を連想させる"et vulgaris"を挿入していることにより、ラテン語訳を念頭に置いている可能性もある。Reta&Casquero, Canale, Barney et al.は皆、prevulgata、つまりイタラ訳や古ラテン語訳を指すと注釈している。しかしこの後でオリゲネスのギリシア語の第六、第七と続けているのでラテン語訳が挟まると考えるのは不自然である。
    Augustinus, De Civitate Dei, Liber 18, 43

  7. ギリシア語、ラテン語ヘブライ語のこと。

  8. アウグスティヌスはヒエロニムスを評価した後で、他の翻訳よりも七十人訳の権威を重視するべきことを論じている。しかしイシドルスはその部分は用いておらず、ヒエロニムス訳を賞賛する文意に変わっている。

イシドルス『語源』翻訳 VI. 1 『旧約聖書と新約聖書について』

はじめに

テキストはOroz Reta J. and Marcos Casquero, M.-A (eds), Etymologias: Edition Bilingüe, Madrid, 1983. を使用した。Berney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳を参照した。Oroz Reta J. and Marcos Casqueroの西訳とIsidoro di Siviglia, Etimologie o origini, primo volume, a cura di Angelo Calastro Canale, UTET, 2004.の伊訳も参照した。

『語源』第六巻は日本語訳がある。

中世思想原典集成5 後期ラテン教父, 兼利琢也訳

旧約聖書の三部構成と各書名についてはヒエロニュモスの『サムエル記・列王記序文』の内容と並行している。原文はBiblia Sacra iuxta Vulgatam Versionem, Stuttgart: Deutsche Bibelgesellschaft, 2007 [1969]で確認した。日本語訳はヒエロニュムスの聖書翻訳、加藤哲平、教文館、2018 (石川立との共訳)あるいは下記論文で読むことができ、参照した。

同志社大学学術リポジトリ

内容が理解しやすいよう適宜改行を行なった。

翻訳

旧約聖書(Vetus Testamentum, 古い契約)は、新しい契約が到来したことによって、[元々の契約が]失効したことに由来してそのように呼ばれる。使徒[パウロ]は次のように語る時に、このことを念頭に置いているのである1

「古きものは過ぎ去った。見よ、新しくなってしまったのである。」(vetera transierunt, et ecce facta sunt nova.)

そして新約聖書(Novum Testamentum, 新しい契約)は更新すること(innovare)からそのように呼ばれる。なぜなら人は古さから恩寵によって新たにされ、新しい契約、つまり天の国に既に至ることなしにはそのこと2は理解されないからである。

ヘブライ人たちはエズラ(Esdra) 3創始者として、旧約聖書として彼らの文字の数と同数の22の書物4を受け入れている。そして旧約聖書を三部分に分割している、つまり律法と預言書と聖文書(hagiographorum)である。

第一部である律法では5つの書物が受け入れられている5。それらの内で第一はブレシート(Bresith, בְּרֵאשִׁית)6であり、『創世記』のことである。第二はヴ・エーッレ・シェモート(Veele Semoth, וְאֵ֗לֶּה שְׁמֹות֙)であり、『出エジプト記』のことである。第三はヴァイエクラ(Vaiicra, וַיִּקְרָא)であり、『レビ記』のことである。第四はヴェミドバル(Vaiedabber, בְּמִדְבַּ֥ר)であり、『民数記』のことである。第五はエーッレ・ハ・ドゥバリーム(Elleaddebarim, אֵלֶּה הַדְּבָרִ֗ים)であり、『申命記』のことである。これらがモーセ五書である。ヘブライ人はこれをトーラー(Thora,תּוֹרָה, 律法)と呼び、ラテン語圏の人々はLex(律法、法)と呼ぶ。そして厳密な意味でのLex(法)とも呼ばれる。なぜならモーセによって与えられたものだからである。

第二部である預言書には8つの書物が含まれている。第一はヌンの子ヨシュア(Iosuae Benun, ヨシュア記)であり、ラテン語ではIesu Naveと呼ばれている。第二はソプティーム(Sophtim, שׁוֹפְטִים), つまりIudicum(士師記)である。第三はサムエル(Samuel, サムエル記)、つまりRegum primus(諸王国の第一)である。第四はマラヒーム(Malachim, מְלָכִים, 列王記)、つまりRegnum secundus(諸王国の第二)である。第五はエサイアス(イザヤ書)である。第六はイエレミアス(エレミア書)である。第七はエゼキエル(Ezechiel, エゼキエル書)である。第八はタレアザル(Thereazar, תְּרֵי עֲשַׂר, 十二預言書)、これはDuodecim Prophetarumと呼ばれる。この[12の]書物は1つの書物として考えられている。なぜなら[それぞれが]短いのでまとめられているからである。

第三部は聖文書(hagiographorum)、つまりsancta scribentiumである。聖文書には9つの書物が含まれている。第一がヨブ(ヨブ記)である。第二が詩篇(Psalterium)である。第三がマスロット(Masloth, מִשְלֵי, 箴言)、つまりProverbia Salomonis(ソロモンの箴言)である。第四がコヘレト(Coheleth)、つまりEcclesiastes(伝道の書)である。第五がシルハッシリーム(Sir hassirim, שִׁיר הַשִׁירִים, 雅歌)、つまりCanticum canticorum (歌の中の歌)のことである。第六がダニエル(Daniel)である。第七がダブレヤミン(דִּבְרֵי־הַיָּמִים)、つまりverba dierum (日々の言葉)であり、これはParalipomenon (Παραλειπομένων, 歴代誌)という。第八はエスドラス(Esdras, エズラ記)である。第九はヘステル(エステル記)である。これら[三つの部分]全ての5と8と9を合わせると上で述べたように22となる。

ルツ記とキノット(哀歌)7を聖文書に加え、旧約聖書を24巻とする者たちもいる。この24という数は神の御前にいる24人の長老と同数である8

我々[キリスト教徒]による旧約聖書の配列で、第四部はヘブライ人の正典に含まれていない書物である9。その第一が知恵の書(Sapientiae liber, ソロモンの知恵)である。第二が集会の書(Ecclesiasticus, ベン・シラの知恵)である。第三はトビア(トビト書)である。第四はユディト(ユディト記)である。第五と第六はマカベア書(第一マカベア書と第二マカベア書)である。ユダヤ人たちはこれらをアポクリファとして分けているけれども、キリスト教正統教会はこれらも神の書物として名誉を与え、説教してもいるのである。

新約聖書には二つの部分がある。第一は福音書である。福音書にはマタイ、マルコ、ルカそしてヨハネがある。第二は使徒書(apostolicus)である。使徒書には次のものが含まれている、パウロの14書簡、ペトロの2書簡、ヨハネの3書簡、ヤコブとユダがそれぞれ1通ずつ、使徒行伝、ヨハネの黙示録である。

[旧約聖書新約聖書の]どちらの聖書全体もそれぞれ三通りに分類される。それは歴史に関して(in historia)、習慣に関して(in moribus)、アレゴリーに関して(in allegoria)の三つである。さらにこれら三つのそれぞれは様々な仕方で次のように分類される。神が言ったことと行ったこと、天使が言ったことと行ったこと、人間たちが言ったことと行ったこと、預言者たちがキリストと彼の肉体について予言したこと、悪魔とその構成要員について、古の人々と新しい人々について、今の世と来るべき世の王国と裁きについて、である。


  1. IIコリ 5:17.
  2. 「古い契約が失効して新しい契約が到来したこと」を指すと解釈する。
  3. cf. ネヘミア8:1-8. エスドラス(Ἔσδρας)はエズラ(עֶזְרָא)のギリシア語訳。語源VI-4も参照。
  4. cf. 『サムエル記・列王記序文』石川・加藤訳注9 (加藤哲平, 2018, p. 272).
    「聖書の文書数を22とする算定はヨセフス(『反論』1.38)に、また22書をヘブライ文字の数から説明する方法はオリゲネス(『フィロカリカ』3、『詩篇注解』[=エウセビオス『教会史』6.25.2])に見られる。」
  5. 以下ヒエロニムスとヘブライ語音訳の表記が若干異なる。以降書名の原文表記はイシドルスのものを記載する。例えば『出エジプト記』はヒエロニムス: Hellesmoth, イシドルス:Veele Semothのように異なっている。ラテン語名も例えば『ヨシュア記』はヒエロニモス: Iesu filio Nave, イシドルス: Iesu Naveのように完全には一致しない。
  6. モーセ五書のそれぞれの書名はヘブライ語での冒頭語句によって呼ばれていた。
  7. 哀歌は「キノット」として、エレミアの作だと考えられていた(石川・加藤訳注参照, p.287)。
  8. 黙示録4:4.
  9. アポクリファ(ἀπόκρυφα)あるいは(旧約)聖書外典と呼ばれている。

ガレノスと三段論法第四格について

Wikipediaの三段論法の記事は充実しているが、三段論法第四格について次のように述べられている点は注意を要する1

(なお、第四格は、ガレノスが形式整備のために補完したものである。アリストテレスは、実用性は無いと考え、省いたものと考えられている。)

実はガレノスが第四格を導入したのかどうかということについては込み入った事情があり、ガレノスが導入(あるいは整備)したかどうかはテキストの散逸により断言できない。

判断の材料となる主な資料は以下の通りである。LukasiewitzとRescherの本を参考にした。原典に私訳をつけておく。

 1. アヴェロエスは『分析論前書中注釈』の3箇所でガレノスが第四格を導入したことへのクレジットを与えている。このヘブライ語版がルネサンスラテン語に翻訳された。これに基づいてザバレラが"De quarta syllogismorum figura"で紹介し、「ガレノスの第四格」が西洋で広まった2

もし「AはCにおいてある。なぜならCはBにおいてあり、かつBはAにおいてある」と言うならば、この推論は誰も自然に行わないようなものになるだろう。それゆえ、この推論方式から導出することは必要でない。つまり、「CはAにおいてある。」この言明は次のように言うことに基づいている3。「AはCにおいてある。なぜならAはBにおいてあり、かつBはCにおいてある。」そしてこの推論は思考が自然に従ってなしたようなものではない。このことからガレノスが論じていた第四格が三段論法ではないことは明らかである。

 2. Minodes Mynasが編纂したガレノス"Eisagōgē dialektikē" (Paris, 1844)の序文で逸名著者のギリシア語断片(6 AD ?) を載せている。それによればテオフラストスとエウデモスが間接推論による式としてグループ化したものを後の論理学者が第四格とした。そしてその考えがガレノスに帰された4

テオプラストスとエウデモスは説明のために、アリストテレスの[三段論法]第一格にもう一つのある種の対になるもの(第四格の推論に相当)を付け加えた。これらについては後で説明するつもりである。ある後の人々はこの対になるものを第四格として完成させ、この[第四格の]考えを[発見の]父としてガレノスに帰した。

 3. プラントルが1858年にビザンツの学者Ioannes Italus (11 AD)による論理学著作のギリシア語断片を発見した。それによればガレノスは第四格の存在を教えていた5

これらが三段論法の格である。スタゲイラの人6に反して、ガレノスは三段論法の格について第四格が存在すると言っていた。彼(ガレノス)は論理学の研究を著述した、より昔の人々よりも賢いだろうと考えていたが、[ガレノスは昔の人々に]遥か遠く及ばなかった。

 4. Maximilian Walliesが1899年に逸名著者のギリシア語古註(6 AD or 7 AD?)を出版した7。それによればガレノスは著書"ἀποδεικτική"で[別の意味で]第四格が存在すると述べている。その理由はガレノスがアリストテレスのように3項かつ2前提の単純三段論法ではなく、4項かつ3前提の複合三段論法を考察しているからである。

三段論法のすべての種類について、三段論法には三つの種類がある。定言三段論法、仮言三段論法、付加的容認による三段論法(τὸ κατὰ πρόσληψιν)である。定言三段論法には二つの種類がある。単純定言三段論法と複合定言三段論法である。そして単純定言三段論法には三つの種類がある。第一格、第二格、第三格である。複合定言三段論法には四つの種類がある。第一格、第二格、第三格、第四格である。アリストテレスは単純三段論法に注目して三つの格から構成されていることから三つの格があると述べた。一方、ガレノスは自身の著書 ἀποδεικτικήで複合定言三段論法に注目し、複合定言三段論法が四つの格から構成されており、そのような三段論法をプラトンの対話編に数多く見出したことから四つの格があると述べた。

この証言では第四格とは4項の三段論法の特定の組み合わせでの意味であり、創始者かどうかで問題となっているような第四格のことではない。4項の推論は本質的には伝統的な(3つの格の)三段論法2回の組み合わせで説明される。複合の第四格には通常の三段論法の組み合わせII and III, or III and IIが対応する。

 5. ガレノスは自身の著書『弁証論入門』で三段論法の格は三つのみであると述べている8

既に説明したようにこれらは定言三段論法と呼ばれる。これは既に説明した三つより多くの格から成り立っていることは不可能であり、他の数から成り立っていることも不可能である。このことは『論証について』という覚書の中で証明した。

以上より、ガレノスを第四格の創始者とみなす根拠となるテキストは1と2と3であり、ガレノスを第四格の創始者とみなさないことの根拠となるテキストは4と5である。特に5はガレノス自身の証言であり、検討を要する。

先行研究での見解

Rescherは『弁証論入門』での記述はガレノスが第四格を扱っていなかったいう結論を出すには決定的ではないと言う (p.3)。問題となっている箇所の注13では『論証について』に関する書き方から三段論法の格式については当時議論の的になっていたのだろうと分析している(ibid.)。

the tract in question is but one minor work of a writer who returned to the subject many times over many years, and further that it is a routine textbook or manual devoted to standard fundamentals, not a treatise devoted to any more far-reaching purpose, not a presentation of some novel conception of the matters at issue might be undertaken.

ルカシェヴィッチはガレノスは第四格の創始者ではないと考えている。彼は4のテキストを特に重視して詳しく論じている(pp.39-40)。

考察

ガレノスの『弁証論入門』の記述の信憑性を退けるRescherの論拠は不十分であるように思える。もし『弁証論入門』で『論証について』の言及がなければよくあるテキストブックの定型文言だという説明も成り立つだろう。だがより発展的な内容を含む『論証について』でも格が三つしかないのであれば、ガレノスは入門的な内容ゆえに第四格を除いて単純化しているという見方は成り立たない。

参考文献

Lukasiewics, Aristotle's syllogistic from the standpoint of modern formal logic, Garland publishing, 1987.

Nicholas Rescher, Galen and the Syllogism, University pf pittsburgh press, 1996.


  1. https://ja.wikipedia.org/wiki/三段論法
  2. Prantl, Geschichte der Logik im Abendlande, vol. 1, p.571. テキストは羅訳(Venice, 1553).
    Geschichte der Logik im Abendlande : Prantl, Carl, 1820-1888 : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive
  3. 例えば第一格で得られた結論に減量換位を行い、そして単純換位を行う。
  4. Kalbfleischが再録している。K. Kalbfleisch, Über Galens Einleitung in die Logik, 23.
    https://play.google.com/store/books/details?id=eitTAAAAYAAJ&rdid=book-eitTAAAAYAAJ&rdot=1
  5. Prantl, Geschichte der Logik im Abendlande, vol.2, p.302.
  6. アリストテレスのこと。彼はスタゲイラで生まれた (ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』5.1)。彼は第四格を扱わなかった。
    Diogenes Laertius, Lives of Eminent Philosophers, BOOK V, Chapter 1. ARISTOTLE (384-322 B.C.)
  7. In Aristotelis Analyticorum priorum librum I commentarium ... : Ammonios, Hermiae : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive
  8. Eisagōgē dialektikē. Galeni Institutio logica; : Galenus. [from old catalog] : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive

イシドルス『語源』翻訳 VIII. 5. 69-70『キリスト教の異端について』

はじめに

テキストはOroz Reta J. and Marcos Casquero, M.-A (eds), Etymologias: Edition Bilingüe, Madrid, 1983. を使用した。Berney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳を参照した。

Isidoro di Siviglia, Etimologie o origini, primo volume, a cura di Angelo Calastro Canale, UTET, 2004.の訳と注釈も参照した。

内容が理解しやすいよう適宜改行を行なった。

脚注は不完全であり改訂予定である。

イシドルス『語源』翻訳 VIII-5: 1-10『キリスト教の異端について』 - Asinus's blog

イシドルス『語源』翻訳 VIII-5: 11-25『キリスト教の異端について』 - Asinus's blog

イシドルス『語源』翻訳 VIII-5: 26-36『キリスト教の異端について』 - Asinus's blog

イシドルス『語源』翻訳 VIII-5: 37-50『キリスト教の異端について』 - Asinus's blog

イシドルス『語源』翻訳 VIII-5: 51-61『キリスト教の異端について』 - Asinus's blog

イシドルス『語源』翻訳 VIII-5: 62-68『キリスト教の異端について』 - Asinus's blog

この箇所は各異端に対する記述が短すぎてなぜ異端であるのか不明なものがあるので、参考としてアウグスティヌス『異端について』の英訳をいくつか注に載せる。

以下の英訳を使用した。

Arianism and other heresies, the works of saint augustine, part 1 vol.18, introduction, translation and notes Roland J. Teske, editor John E. Rotelle, New City Press, 1995.

この節についてはこの記事で終わりである。

翻訳

他には創始者も名前も[伝わってい]ない異端がある。

それらの内、ある者たちは神は三つの部分を持つ(triformis)と考えている1

ある者たちはキリストの神性は苦しみを受けると言っている。

ある者たちはキリストははじめの時に父から生まれたのだと述べている。

ある者たちはキリストが冥府へ下り、人間たちを解放することを信じていない2

ある者たちは魂が神の似像であることを否定している。

ある者たちは魂が悪魔や他のどんな動物たちにも変えられると考えている。

ある者たちはこの世の状態についての(de mundi statu)見解が[正統派教会と]一致しない3

ある者たちは無数の世界があると考えている。

ある者たちは水が神と共にあったと考えている4

ある者たちは裸足で歩く5

ある者たちは人間たちと食事をしない6

以上が正統派教会の信仰に敵対して出てきた異端であり、使徒たちと教父たち、あるいは公会議によって断罪されてきたものである。区別された様々な誤謬に関しては彼らは互いに異なっているが、神の教会に対する[異端という]共通の名については一致する。しかしながら、聖霊(彼らによって聖書が書かれた)が命じる意味とは異なる仕方で聖書を理解する者は誰であれ、たとえ教会から離れていなかったとしても7、異端者と呼ばれ得るのである。


  1. cf. アウグスティヌス『異端について』74.
    “There is another heresy which states that God is tripartite so that the Father is one part, the Son another, and the Holy Spirit a third. That is, they are parts of the one God and make up the Trinity, as though God were composed of these three parts, and neither the Father nor the Son nor the Holy Sprit is complete in itself” (以下Teske訳).

  2. キリストは冥府へ下ったと信じられていた。cf. 『アタナシオス信条』38、『ニコデモ福音書』。

  3. cf. アウグスティヌス『異端について』67.
    “Philaster mentions a certain heresy without a founder and without a name; it says that this world, even after the resurrection of the dead, will remain in the same state in which it is now and that it it will, thus, not be changed so that there is a new heaven and a new earth (Is 65:11; Rv 21:1), as the holy scripture promises”.

  4. cf. アウグスティヌス『異端について』75.
    “There is another heresy which says that water was not created by God, but was always coeternal with him”.

  5. cf. アウグスティヌス『異端について』68.
    “There is another heresy of those who always walk with bare feet, because the Lord said to Moses, Remove the sandals from your feet (Ex 3:5; Jos 5:16) and because the prophet Isaiah is said to have walked barefoot. It is a heresy because they do not walk that way in order to afflict their body, but because they interpret the words of God in that manner”.

  6. cf. アウグスティヌス『異端について』71.
    “Philaster says that there are other heretics who do not eat with other human beings. But he does not state whether they avoid eating with other who are not of the same sect or whether they do not eat even with their own people. He also says that they have the correct doctrine regarding the Father and the Son, but do not hold the Catholic position regarding the Holy Spirit, because they regard him as a creature”.

  7. 「正統派教会に所属していたとしても」ということ。

イシドルス『語源』翻訳 VIII. 5. 62-68『キリスト教の異端について』

はじめに

テキストはOroz Reta J. and Marcos Casquero, M.-A (eds), Etymologias: Edition Bilingüe, Madrid, 1983. を使用した。Berney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳を参照した。

Isidoro di Siviglia, Etimologie o origini, primo volume, a cura di Angelo Calastro Canale, UTET, 2004.の訳と注釈も参照した。

内容が理解しやすいよう適宜改行を行なった。

脚注は不完全であり改訂予定である。

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イシドルス『語源』翻訳 VIII-5: 51-61『キリスト教の異端について』 - Asinus's blog

翻訳

夜眠派(Nyctages)1は眠り(somnus)に由来してそのように呼ばれる。なぜなら彼らは晩祷(vigilia)を拒否しているからである。[晩祷は]迷信[的な儀式]であり、夜を休息に割り当てたという神の法を[晩祷は]犯していると彼らは言っている。

ペラギウス派(Pelagiani)2は修道士ペラギウスが創始した。彼らは神の恩寵よりも自由意志を優先させている。神の命令を果たすためには意志[のみ]で十分であると彼らは言っている。

ネストリウス派(Nestrianus)はコンスタンティノポリスの司教であるネストリウスに由来してそのように呼ばれる。至福なる処女マリアは神の生みの親ではなく、単に人間の生みの親である、なぜなら一方は人性(persona carnis)のペルソナであり、他方は神性のペルソナであるから、と主張した。彼はキリストが神の言葉と肉において一つであるということを信じておらず、それぞれ別個に一方は神の子であり、他方は人間の子であると説いていた。

エウテュケス派(Eutychianus)はコンスタンティノープル修道院長であるエウテュケスに由来してそのように呼ばれる。キリストが人性を受けとった後に二つの本性が共存することを彼は否定し、[人性を受け取った後の]キリストには神性である本性のみがあると主張した。

アケパロス派(Acephalus)3はこの異端の者たちが従っている指導者(caput, 頭)がいないことからそのように呼ばれる。それゆえこの一派の創始者は知られていない。彼らはカルケドンの三章(capitulum, κεφάλαιον)4を弾劾しているが、キリストにおける二つの実体5の固有性(proprietas)を否定しており、キリストのペルソナには一つの本性[のみ]があると説いている。

テオドシウス派(Theodosianus)とガイアヌス派(Gaianita)はテオドシウスとガイアヌスに由来してそのように呼ばれる。ユスティニアノス帝時代のアレクサンドリアで彼らは堕落した民衆たちによる選出によって同じ日に司教に任命された。彼らはエウテュケスとディオスコロスの誤謬に従い、カルケドン公会議[での決定]を否定した。キリストにおいて二つ[の本性]から[合一された]一つの本性[のみ]があると彼らは主張している。テオドシウス派はこの本性は堕落していると主張し、ディオスコロス派はこの本性は堕落していないと主張している。

アグノイア派(Agnoita)とトリテオス派(Tritheita)はテオドシウス派から生まれた。この内、アグノイア派はignorantia(無知)に由来してそのように呼ばれる6。なぜなら彼らが由来するその頑迷さによって「キリストの神性は未来については無知である(ignorare)」と彼らが言い加えているからである。これについては最後の日と時について[聖書に]次のように書かれている。彼らはイザヤ書でキリストのペルソナが次のように言っているのを覚えていないのである、「復讐の日がわが心のうちにあり」7

トリテオス派8は、三位一体において三つのペルソナがあるように、同様に三つの神があると彼らが言い加えていることからそのように呼ばれる。このような説に反して、[聖書には]次のように書かれている、「イスラエルよ聞け、あなたの主である神は唯一の神である」9


  1. 実際はνυστάζωに由来する(Canale, p. 646)。

  2. アウグスティヌスが『ペラギウス派論駁』で詳しく批判している。

  3. Gr. ἀκέφαλος: headless.

  4. 一章はテオドロス自身とその著作、二章はキュロスの司教であるテオドレトスの著作のうち、キュリロスを論駁したもの、三章はエデッサの司教になる前にイバスがマリに送った手紙である。詳細は以下を参照。
    ハンス ユーゲン・マルクス、三章論争へのプレリュード ーエフェソス公会議後の新たな抗争の第一期ー、南山神学、vol. 40、pp. 1-55, 2017.

  5. 神性と人性。

  6. Gr. ἄγνοια: ignorance. ἄ (not) + γιγνώσκω (come to know).

  7. イザヤ書』63:4. イザヤ書63での語り手は預言者イザヤである。この箇所の語り手がキリストであると解釈されている。

  8. τρι- (3) + θεός (god).

  9. Audi, Israel; Dominus Deus tuus Deus unus est."『申命記』6:4.
    マソラ本文「イスラエルよ聞け。われわれの神ヤハウェは唯一なるヤハウェである。」(旧約聖書翻訳委員会訳).
    שְׁמַ֖ע יִשְׂרָאֵ֑ל יְהוָ֥ה אֱלֹהֵ֖ינוּ יְהוָ֥ה׀ אֶחָֽד
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    七十人訳イスラエルよ聞け、我々の主である神は唯一の主である。」(῎Ακουε, Ισραηλ· κύριος ὁ θεὸς ἡμῶν κύριος εἷς ἐστιν·).
    ヴルガタ訳. "audi Israhel Dominus Deus noster Dominus unus est.”

イシドルス『語源』翻訳 VIII-5: 51-61『キリスト教の異端について』

はじめに

テキストはOroz Reta J. and Marcos Casquero, M.-A (eds), Etymologias: Edition Bilingüe, Madrid, 1983. を使用した。Berney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳を参照した。

Isidoro di Siviglia, Etimologie o origini, primo volume, a cura di Angelo Calastro Canale, UTET, 2004.の訳と注釈も参照した。

内容が理解しやすいよう適宜改行を行なった。

脚注は不完全であり改訂予定である。

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イシドルス『語源』翻訳 VIII-5: 11-25『キリスト教の異端について』 - Asinus's blog

イシドルス『語源』翻訳 VIII-5: 26-36『キリスト教の異端について』 - Asinus's blog

イシドルス『語源』翻訳 VIII-5: 37-50『キリスト教の異端について』 - Asinus's blog

翻訳

ドナトゥス派(Donatista)はアフリカの司教であるドナトゥスという人に由来してそのように呼ばれる。彼はヌミディアから出てきて、彼の説得力によってほぼアフリカ全土を騙した。子は父よりも劣っており、聖霊は子よりも劣っていると彼は主張している。そして彼は正統派教会の信徒を再洗礼している1

ボノスス派(Bonosiacus)はボノススという司教が創始したと伝えられている。キリストは神の養子であり、実子ではないと彼らは主張している。

キルクムケリオーネス(Circumcellia)2は彼らが粗野であることに由来してそのように呼ばれる3。彼らはCotopitaeと呼ばれ、上で述べた[ドナトゥス派の]異端の教えを信じている。殉教に対する愛のために、彼らは自殺をする。この世の生から激しく別れを告げることから、彼らは殉教者と呼ばれているようである[^3]。

プリスキリアヌス派(Priscillianista)はプリスキリアヌスに由来してそのように呼ばれる。 彼はスペインにおいてグノーシス主義マニ教の誤謬を混ぜ合わせた教義を作り上げた。

ルキフェルス派(Luciferianus)はシルミアの司教であるルキフェルス4が創した。コンスタンティノス帝の迫害の時にアリウス派に同調し、その後に悔い改め、正統派教会に戻ることを選択した人たちを本当に[アリウス派の教えを]信仰したか、あるいは信仰したふりをしたのかを問わず、彼らは非難した。ペテロが否んだことを涙した5後に受け入れられたように、正統派教会はその母なる懐にこの悔い改めた者たちを受け入れた。正統派教会の母なる愛を彼らは尊大に軽視し、悔い改めた者たちを受け入れることを拒否するという点で彼らは教会の交わり(communion)から逸脱している。創始者である朝に昇るルキフェルス6と共に彼らは夕べには沈むに値する。

ヨビニアヌス派(Iovianista)はヨビニアヌスという修道士に由来してそのように呼ばれる。既婚者と処女の間にはいかなる違いもなく、節制している者と制限なく飲み食いする者との間にもいかなる違いもないと主張している。

エルビディウス派(Elvidianus)はエルビディウスに由来してそのように呼ばれる。キリストが生まれた後にマリアは夫ヨセフとの間に別の息子たちをもうけたのだと彼らは言っている。

パテルヌス派(Paternianus)はパテルヌスという人が創始した。肉体における下位の部分は悪魔によって作られたのだと彼は考えている。

アラビアの異端(Arabicus)はアラビアにおいて生じたのでそのように呼ばれる。魂は肉体と共に消滅し、そして両者は最後の時に復活するのだと彼らは言っている7

テルトゥリアヌス派(Tertullianista)はアフリカ属州のカルタゴの司教であるテルトゥリアヌス8に由来してそのように呼ばれる。魂は不死であるが、肉体は[可死的である]と彼らは説いている。さらに罪のある人の魂は死後に悪魔に変わるのだと彼らは信じている。

14日派(Tessarescaidecatita)9ユダヤ暦の14日に復活祭は行われるべきであると彼らが主張していることからそのように呼ばれる。なぜならτέσσαρεςはquattuor(4)を意味し、δέκαはdecem(10)を意味しているからである。


  1. cf. アウグスティヌス『洗礼論』。

  2. Circumcelliaという名前はcellas circumireに由来しているかもしれない。この集団の移動していく生活様式に関連している(Canale, p.644)。

  3. キルクムケリオーネスについては以下の論文も参照。
    Bad Boys: Circumcellions and Fictive Violence | Brent D. Shaw | Taylor
    Bad Boys: Circumcellions and Fictive Violence by Brent Shaw :: SSRN

  4. アリウス派に反対したLucifer Calaritanusが間違ってシルミナのルキフェルスとされているのかもしれない (cf. Canale, p.644 , Reta and Casquero, p.700)。

  5. 『マルコ福音書』14:66-72、および並行箇所。

  6. luciferは明けの明星という意味があるのを用いた洒落。cf. ヴルガタ訳『イザヤ書』14:12.
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  7. cf. エウセビオス『教会史』6:37. この異端に対する教区会議には教父オリゲネスも招かれた。

  8. 著書に『護教論』がある。正統派教会から転向しモンタノス主義に加わり、異端の扱いを受けた。

  9. τέσσαρες (4) + καί (and) + δέκα (10). cf. エウセビオス『教会史』5:24. 14日派についての詳細は以下の論文を参照。
    秋山学、「14日派」に学ぶ、『文藝言語研究 文藝篇』71、pp. 71-88、2017.
    https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/record/40643/files/SLL_71_071.pdf

イシドルス『語源』翻訳 VIII-5: 37-50『キリスト教の異端について』

はじめに

テキストはOroz Reta J. and Marcos Casquero, M.-A (eds), Etymologias: Edition Bilingüe, Madrid, 1983. を使用した。Berney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳を参照した。

内容が理解しやすいよう適宜改行を行なった。

脚注は不完全であり改訂予定である。

イシドルス『語源』翻訳 VIII-5: 1-10『キリスト教の異端について』 - Asinus's blog

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翻訳

フォティヌス派(Photinianus)はガッログラエキア生まれでシルミウムの司教であるフォティヌスに由来してそのように呼ばれる1。彼はエビオン派の異端の教えを蘇らせ、キリストは、夫であるヨセフとの性交によってマリアが孕んだのだと主張した。

アエリオス派(Aerianus)はアエリオスという人に由来してそのように呼ばれる。彼らは死者に供儀を供えることを拒否している。

アエティオス派(Aetianus)はアエティオスに由来してそのように呼ばれる。この一派はアエティオスの弟子であり、弁証論者であるエウノミオスに由来してエウノミオス派とも呼ばれる。エウノミオスの名によってこの一派はより有名になった。彼らは父と子は異なっており、かつ子と聖霊は異なっていると主張している。さらに、信を保つ者はいかなる罪も負わないと彼らは言っている。

オリゲネス派(Origenianus)はオリゲネスが創始した。彼らは子が父を見ることも、聖霊が子を見ることも不可能であると言っている。さらに彼らは次のように言っている。魂は世界の始まりにおいて罪を犯した。それらの魂は天から地まで下り、様々な罪に応じた様々な肉体をあたかも鎖のように身に纏った。このようにして世界が作られたのである。

ノエトス派(Noetianus)はノエトスに由来してそのように呼ばれる。彼はキリストと父と聖霊は同一であると言っていた。しかし、彼らはペルソナに関してではなく、名前の働きに関してこの三位一体を受け入れていた。そのことから彼らは天父受苦派(Patripassianus)2とも呼ばれる。なぜなら、彼は父が苦しみを受けたと言っているからである(quia Patrem passum dicunt)。

サベリウス主義(Sabellianus)3は上で述べたノエトスから生まれたと言われている。彼らはサベリウスはノエトスの弟子であると主張しているからである。サベリウスの名によって彼ら[サベリウス主義者]はとても有名になった。それゆえ[ノエトス派ではなく]サベリウス主義とも言われるのである。彼らは父と子と聖霊が一つのペルソナであると説いている。

アリウス派アレクサンドリアの司祭であるアリウスが創始した。彼は子が父と永遠に共にいることを認めず、三位一体において異なる実体が存在することを主張した。このような説とは反対に主はこう言っている「私と父はひとつである」4

マケドニオス派(Macedonianus)はコンスタンティノポリスの司教であるマケドニオスに由来してそのように呼ばれる。彼らは聖霊が神であることを否定している。

アポリナリオス派(Apollinarista)はアポリナリオスに由来してそのように呼ばれる。キリストは魂なしの肉体のみを受け取ったのだと言っている。

マリア異議派(Antidicomarita)5は彼らがマリアの処女性に異議を唱えている(contradicere)ことからそのように呼ばれる。キリストが生まれた後、彼女は夫と性交したと彼らは主張している。

メタギスモス派(Metagismonita)6はvas(容器)がギリシア語ではἄγγοςと言われることからその名を得ている。なぜなら彼らはあたかもより大きな容器の中により小さな容器があるように、父のうちに子があると主張しているからである。

パトリキオス派(Patricianus)はパトリキオスという人に由来してそのように呼ばれる。人間の肉の実体は悪魔によって作られたと彼らは言っている。

コリュトス派(Coluthianus)はコリュトスという人に由来してそのように呼ばれる。彼らは神は悪は創造していないと言っている。このような説に反して聖書には次のように書かれている、「私は神、悪を創造する者」7

フロリヌス派(Florianus)はフロリヌスに由来してそのように呼ばれる。彼らは[コリュトス派とは]反対に、神は悪しく[世界を]創造したと言っている。このような説に反して聖書には次のように書かれている、「神は全てをよしとした」8


  1. ガッログラエキアはガラテアのこと。シルミアはローマ帝国の属州パンノニアにあった都市。

  2. Patri (pater, 父) + pass (passus, 受けたこと) + ianus (派).

  3. cf. エウセビオス『教会史』7:6.

  4. ヨハネ福音書』10:30.

  5. antidico (ἀντιδικέω) + marita.

  6. Gr. μεταγγισμός: transmigration.

  7. イザヤ書』45:7.
    45:6-7 「わたしがヤハウェである。他にはいない。[わたしは]光を造り、闇を創造する者、平安を作り、災いを創造する者。わたしはヤハウェ、これら総てを作る者。」(以下 旧約聖書翻訳委員会訳)
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  8. 『創世記』1:31.
    「神が自ら造ったすべてのものを見ると、果たして、それはきわめてよかった。夕となり、朝となった。第六日である。」