Asinus's blog

西牟田祐樹のブログです。

Logica "Ut Dicit"のディアレクティカ

はじめに

 逸名著者によるLogica "Ut Dicit"のディアレクティカに関する箇所("Ut Dicit"の最初の部分)を訳出する。テキストはL.M. de Rijk, Logica Modernorum: a Contribution to the History of Early Terminist Logic: Vol II - Part II, Van Gorcum,1967 (pp.379-380)を使用した。本書ではdialecticaとlogicaの用語の違いについて述べられている。

翻訳

 トゥッリウスの言うように技術とは同じ目的を持つ多くの原理あるいは教訓の集まりである。原理(principium)、教訓(preceptum)、価値あるもの(dignitas)、規則(regula)、格率(maxima)は基体においては同じであるが、説明規定においては異なる。principiumは技術において第一のもの(primum)であるのでそのように呼ばれる。preceptumはこれこれのことを為すように指導する(precipit)のでそのように呼ばれる。dignitasは技術においてよりふさわしい(dignius)ものであることからそのように呼ばれる。regulaは技術者を導く(regit)のでそのように呼ばれる。maximaは量において少なくとも最大(maximum)の力を含むものであるのでそのように呼ばれる。

 技術(ars, 学)は三科(trivium)と四科(quadrivium)に分割される。triviumへの分割とはつまりtres vias(三つの道)、三つの知識であり、文法学、弁証論(dialetica)、修辞学のことである。Quadriviumとはquatuor vie(四つの道)と同様であり、一つのものを目指す知識であり、つまり幾何学天文学、算術、音楽のことである。

 しかし我々は弁証論あるいは論理学のみを論じることにしよう。まず最初に弁証論とは何であり、何を対象とし、論理学とどのように異なるかを理解しなければならない。

 弁証論とは偽であるものから真であるものを区別する技術である。それは論理学と同じである。アウグスティヌスが認めたように1弁証論とは技術についての技術、知識についての知識であり、知ることのみを知り、知ることを生じさせることのみを知るものであり、そこから全ての知識が得られ、それなしにはいかなる知識も完全には知られえないものである。

dialetica(弁証論)はduoである'dia'とsermoである'logis'あるいはratioである'lexis'に由来してそのように呼ばれる。dialeticaはdualis sermo(二つの言葉)と同様である。なぜなら二人の間で、つまり問い手と答え手の間で[言葉が]交わされるからである。厳密な用法では弁証論(dialetica)は論理学(logica)と部分が全体に対するのと同様に異なる。他方で一般的な用法では両者は同じである。ここでは一般的な用法を用いる。

 しかし各々の知識(scientia, 学)において、それらの知識における全てのものが還元されるところの第一で不可分なものが存在するのであるから、そのようなものは論理学においてもあるのでなければならない。そしてそのようなものは項辞である。文法学において文字よりもさらに還元されるものは何もないのと同様に、弁証論者は項辞よりもさらには還元しない。しかし全ての三段論法は命題から成り、全ての命題は項辞から成り、弁証論はそれ以上分割されないのであるから、項辞から始めなければならない。しかし項辞を知るためには音声とは何かから知られなければならない。それゆえ三段論法のためではなく項辞を知るために音声から、いわば最初のものから始められなければならない。

 


  1. 『秩序』第2巻13, 38