Asinus's blog

西牟田祐樹のブログです。

オッカムの仮言命題と真理値

オッカムは『大論理学』で連言と選言に関して次のように述べている1


連言

Oportet autem scire quod semper a copulatiua ad utramque partem est consequentia bona, sicut sequitur 'Sortes non currit et Plato disputat, ergo Plato disputat'; sed e conuerso est fallacia consequentis. Tamen sciendum est quod quandoque ab altera parte copulatiuae ad copulatiuam potest esse consequentia bona gratia materiae, puta si una pars copulatiuae inferat aliam, tunc ab illa parte ad totam copulatiuam est consequentia bona. (II-32)

拙訳

さらに次のことを知らねばならない。常に連言からそのどちらかの部分を導くのは妥当な推論(consequentia, 推断)である。例えば次が成り立つ、「ソクラテスは走らないかつプラトンは議論する、それゆえプラトンは議論する」。しかしその逆(連言の部分から連言全体)は推論における誤謬である。ただしある時には連言の一方の部分から連言全体が内容のゆえに妥当な推論であり得ることが知られなければならない。例えばもし連言の一方の部分が他方の部分を導くならば、その時に部分から連言全体を導くことは妥当な推論である。

選言

Sciendum est etiam quod ab altera parte disiunctiuae ad totam disiunctiuam est bonum argumentum, et e conuerso est fallacia consequentis, nisi sit aliquando aliqua causa specialis impediens fallaciam consequentis. Similiter a disiunctiua cum negatione alterius partis ad alteram partem est bonum argumentum, sicut bene sequitur 'Sortes est homo uel asinus; Sortes non est asinus; igitur Sortes est homo'. (II-33)

拙訳

さらに次のことも知るべきである。選言の一方の部分から選言全体を導くのは妥当な論証であり、その逆は推論における誤謬を妨げる何か特別な理由がある時を除いては、推論における誤謬である。同様に選言と一方の部分の否定から他方を導くのは妥当な推論である。例えば次のことが妥当に帰結する。「ソクラテスは人間またはロバである、ソクラテスはロバではない、それゆえソクラテスは人間である」。

考察

ここでは簡単にこれらを連言の規則、選言の規則と呼ぶことにする。 自然演繹を知っていれば(形式化すれば)オッカムの連言の規則は連言の導入規則であり、オッカムの選言の規則は選言の除去規則と同じものであると気づく。 この記事ではこれらの規則を当時の論理学の道具立てでどのように正当化できるのかを考察する。 自然演繹では正当化のために正規化が使えるが、オッカムの規則は片方の規則しかないのでそれができない。そこで結合子の真理値に着目することにする2。 オッカムは初めて連言と選言のド・モルガンの法則に言及していることからも、真理値に関して十分に考察していたと考えてよい。

連言の規則(Bも同様)
選言の規則(Bも同様)

連言と選言の真理値は以下のように与えられる。

The formula  A\land B is true iff  A is true and  B is true.

only-if方向より連言の規則が得られる。

The formula  A\lor B is true iff  A is true or  B is true.

if方向より選言の規則が得られる。

ではなぜ残りの方向が使用されなかったのかを考察してみる。 まず連言のif方向だが、証明ではなく真理値のみに着目した場合にif方向を考えることは実用上は必要のないことのように思える。選言のonly-if方向だがこれはメタレベルのorを反映することができるような仕組みが必要となる。 自然演繹は前提を複数にして仮定のdischargeを用いているがそのような複雑な仕組みを当時の枠組みで思いつくのは困難である。場合分け論法を言葉で説明する方法ならば、規則として採用できたかもしれない。


  1. テキストはいくつかのサイトで電子化したものを読むことができる。例えば
    Authors/Ockham/Summa Logicae/Book II - The Logic Museum
  2. オッカムの用いる連言の真理値は我々のものと同じであるし、選言の真理値は排他的選言ではなく両立的選言である。オッカムより以前にシャーウッドとヒスパーヌスが両立的選言を用いていた。ただし推論の規則については述べられていない。