Asinus's blog

西牟田祐樹のブログです。

アリストテレスの「仮定からの推論」該当箇所

アリストテレス自身は仮言命題・仮言三段論法については明確には定式化しておらず、詳細に説明を与えていない。アリストテレス自身の仮定からの推論の説明は論理学においてのちに発展した仮言命題・仮言三段論法とは大きく異なる。一読しただけでは見落としてしまいそうな『分析論前書』で「仮定からの推論」に言及されている箇所をまとめておいた。以下の箇所にあるようにアリストテレスはこの主題についてのより詳細な考察をすべきだと述べているが、現存する著作にはそのような箇所はない。

  • 分析論前書の引用はすべて新版アリストテレス全集からのものである。[-]括弧は引用元のものである。
  • 前後の文脈をより明らかにするために長めに引用する。
  • 太字は記事の著者によるものである。補注を除く引用中の(-)も記事の著者によるものである。

引用

第1巻23章

さて、これらの格における推論が第一格における全称推論によって完全なものにされ、これらの推論に還元されるということは以上の論述から明らかである。だが、無条件にすべての推論がこのようなものであろうということは、いまに、すべての推論がこれらの格のどれかによって成立することが証明されるときに、明らかになるであろう。 (1) すべての論証やすべての推論は、なにかが[なにかに]あるか、またはないかを、しかもこれが全称であるか、または特称であるかを、さらに直接的に、または仮定から (ἐξ ὑποθέσεως) によって証明するのでなければならない。不可能によるもの (διὰ τοῦ ἀδυνατου) は仮定からの推論の一部分である。そこで、まず、(a)われわれは直接的な推論について論じることにしよう。というのも、これらについて証明されるならば、(b) 不可能による推論の場合にも、そして一般に(c) 仮定からの推論 の場合にも、明らかになるだろうからである。 <中略1> 他のすべての仮定からの推論もまた同様であろう。なぜなら、すべての仮定からの推論においては、一方で[最初の論点の]代わりに容認されたものと関係する(πρός τὸ μεταλαμβανόμενον)推論が成立し、他方で同意や他の何らかの仮定によって最初の論点が結論づけられるからである。 さて、以上のことが真であるとすれば、すべての論証やすべての推論が前述の三つの格によって成立するということは必然である。このことが証明されたので、(2) すべての推論が第一格によって完全なものとされ、この格における全称推論に還元されるということは明らかである。

第1巻29章

<省略2> (2) さて、これらのことは以下の論述によって、われわれが不可能について論じるときに、いっそう明らかになるであろう。いまは、ただ次の点だけは明らかなことであるとしておこう。すなわち、(a) 直接的に推論することを欲するにしろ、不可能へと導くことを欲するにしろ、いずれにせよ、同じものに注目しなければならないということである。(b) 他の仮定からの推論、例えば(i) 論点の変更 (κατά μετάληψιν) によるか、または(ii) 性質による (κατὰ ποιότητα) かぎりの仮定からの推論においては、考察は新たに仮定されたものにおいて、つまり、[証明すべき]最初の論点においてではなく、その代わりに容認されたものにおいて成立し、それらについて注目する方式は同じであるだろう。だが、仮定からの推論についてはなお考察し、これがどれだけの数で成立するのかを区別しなければならない。

第1巻44章

さらに、(1) 仮定からの推論を還元しようと試みてはならない。なぜなら、[仮定として] 措定されたものからこの推論を還元することはできないからである。というのは、これは推論によって証明されたもの(διὰ συλλογισμοῦ δεδειγμένοι)ではなく、[事前の]取り決めによって、すべて同意されたものである(διά συνθήκης ὁμολογημένοι πάντες)からである。たとえば、(a) 反対のものには、ある一つの能力があるわけではないとすれば、それらには一つの知識があるわけでもないということを[まず]仮定し3: 、(b) 次に、すべての能力が反対のものにあるわけではない、たとえば、健康であるものと病気であるものについてはそうではない、なぜなら、もしそうだとすると、同じものが同時に健康かつ病気でもあるものになるだろうから、と論じる場合がそれである。これより、すべての反対のものには一つの能力があるわけではないということは証明されたが、それらには一つの知識があるわけではないということは証明されたのではない。けれども、これには同意しなければならないのであり、それは推論からではなく、仮定からなのである。よってこの仮定からの推論を還元することはできないが、反対のものには一つの能力があるわけではないということは還元することができる。なぜなら、後者はおそらく推論であったが、前者は仮定であったからである。 (2) 不可能によって結論づけられる推論の場合も同様である。なぜなら、この推論も分析することができないからであり、[この推論の中、]不可能へと帰着させる部分は分析することができるものの(というのは、この部分は推論によって証明されるからである)、他の部分は分析することができないからである。というのは、この部分は仮定から結論づけられるからである。(3) しかし、この推論が前に論じられた[仮定からの]推論と異なるのは、かの推論においては、もしも[結論を]承諾しようとするなら、予め[仮定に]同意をしておかなければならないということである。たとえば、反対のものにひとつの能力があることが証明されるならば、それらにはまた同じ知識があるということに予め同意をしておく場合がそれである。他方、こちら[の推論]においては、予め[仮定に]同意をしておかなくても、偽が明らかなことから、[結論を]承認するのである。たとえば、対角線が通訳可能であると措定されると、奇数と偶数が等しくなる場合がそれである。 (4) 他にも多くの推論が仮定から結論づけられるが、これについてはなお考察し、はっきりとした形で表示しなければならない。そこで、これらの間の相違とはなんであるか、また仮定からの推論はどれほど多くの仕方で成立するのかを我々は後に論じることにしよう。いまは。ただ次の点だけは明らかなことであるとしておこう。すなわち、このような種類の推論は格へと分析することができないということだけである。そしてこれがいかなる理由によってであるかは、われわれがいま論じたところである。

その他の著作

新版アリストテレス全集の補注S(pp.322-325)では第1巻29章の「論点の変更による」仮定からの推論と「性質による」仮定からの推論についての説明がある。

前者[論点の変更によるもの]は仮定からの推論の一般形であり(ピロポノス301, 6-8, 10-11)、したがって、端的には、第一巻第二三章で述べられている内容を表すものと理解される。 これに対して、後者[性質によるもの]は、アレクサンドロス(324,20)によれば、弁証推論の中で、「より多く」(μᾶλλον)と「より少なく」(ἧττον)と「同程度に」(ὅμοιον)から証明するもの」を言う。これが性質によると形容されるのは、「より多く」「より少なく」「同程度に」の三つが一般に「性質」に付随する規定であるからである(アレクサンドロス324,21-22『カテゴリー論』第八章10b26-11a5, 15-194)。

そこで『トピカ』関連箇所(114b37-115a24)も抜粋しておく5

さらに、「より多く」(μᾶλλον)と「より少なく」(ἧττον)ということから論ずることができる。「より多く」と「より少なく」ということのトポスは四つある。一つは、(a)「より多く」ということが「より多く」ということに随伴するかどうかということである。たとえば、もし(εἰ)快楽が善であるならば、より多い快楽はより多い善であり、また、不正をこと働くことが悪であれば(εἰ τὸ ἀδικεῖν κακόν)、より多く不正を働くことはより多い悪だというように6。 このトポスは。論破と確立の両方に有効である。なぜなら、付帯性の増大が基体の増大に伴うならば、すでに言われたように、それは付帯したことは明らかであるから。もし伴わないならば、付帯しなかったのである。そして、このことを帰納によって捉えるべきである。もう一つは、(b)二つのもの[二つの主語]について一つのもの[一つの述語]が語られる場合、帰属することがより多くもっともだと思われる方に帰属しないならば、より少なくもっともだと思われるものの方にも帰属しない。また、帰属することがより少なくもっともだと思われるものの方に帰属する場合には、より多くもっともだと思われるものの方にも帰属するであろう。 <中略7> さらに、同じように(ὁμοίως)帰属する、あるいは帰属すると思われるという観点から、三つの仕方で考察できる。ちょうど、「より多く」ということで、上記の後の三つのトポスについて言われたのと同様である。すなわち、ある一つのものが二つのものに同じ程度に帰属する、あるいは帰属すると思われている場合、もし一方の者が帰属しないならば、他方のものにも帰属せず、また、もし一方のものに帰属するならば、残りの方にも帰属する。


  1. 推論成立の必要条件について論じられている。

  2. 定言命題の結論が直接証明によっても不可能による論証によっても証明されることが論じられている。

  3. εἰ ὑποθέμενος, ἄν δύναμίς τις μία μή ᾖ τῶν ἐωαωτίων,

  4. Alexander Aphrodisiensis. In Aristotelis Analyticorum priorum librum I commentarium. CAG II 1, ed M. Wallies. 1883.
    https://archive.org/details/alexandriinaris00berlgoog
    Philoponus. In Aristotelis Analytica priora commentaria. CAG XIII 2, ed. M. Wallies. 1905
    https://archive.org/details/inaristotelisan00phil

  5. 西洋古典叢書の池田康男訳を使用した。

  6. 引用箇所のトポスの具体例はいわゆる仮言命題の形になっている。

  7. ひとつの主語に二つの述語が語られる場合と二つの主語に二つの述語が語られる場合の例が論じられている。