Asinus's blog

西牟田祐樹のブログです。

イシドルス『語源』翻訳 V-2,3 『神法と人定法について』,『jusとlegesとmoresは互いにどのように異なるのか』

はじめに

テキストはOroz Reta J. and Marcos Casquero, M.-A (eds), Etymologias: Edition Bilingüe, Madrid, 1983. を使用した。Berney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳を参照した。

翻訳

神の法と人定法について

すべての法は神法(lex divinae, 神の法)であるか人定法(lex humana)であるかのいずれかである。神法は自然(natura)に基づいており、人定法は慣習(mos)に基づいている。それゆえ人定法はそれぞれ異なっている。なぜなら異なる民族は異なる法を好むからである。fasとは神法のことであり、jusとは人定法のことである。外国人の財産(alienum)へと超え出ること(transire)はfas[に許されること]であり、jus[に許されること]ではない。

jusとlegesとmoresは互いにどのように異なるのか

法(jus)は一般的な名称であり、一方で成分法(lex)は法(jus)の種である。jusは正しいもの(justum)であるので、そのように呼ばれる。そしてすべての法(jus)は成文法(lex)と慣習[法](mos)から成る。成文法とは書かれた法令(constitutio, 法規)のことである。mos(慣習[法])とは古さによって保障されたconsuetudo(慣習法)、あるいは書かれていない法(lex)1のことである。それというのもlexはlegere(読み上げること)に由来してそのように呼ばれるからだ。なぜなら[lexは]書かれたものだからである。慣習法(consuetudo)は慣習(mos)によって定められたある種の法のことである。慣習法は成文法が欠けている際に法(lex)として認められる。[法は]書かれているものと理性(ratio)のいずれに基づいていても相違はない。なぜなら理性は法(lex)をも保障する(congruat)からである。さらに法(lex)が理性に基づくならば、法は信仰(religio)に合致し、教え(disciplina)に適合し、安全(salus)を増進する限りで、理性に基づくすべての物事のこととなるであろう。 そしてconsuetudoは共同体における慣習(communis usus)2であるが故に、そのように呼ばれる。


  1. lexは広義ではjusと同義に用いられ、狭義では成文法のことを表しているので都度訳し分ける。

  2. con(共-)+ suetudo (慣習、習慣).