Asinus's blog

西牟田祐樹のブログです。

イシドルス『語源』翻訳 X-1: 6-10『人間と怪異について』

はじめに

テキストはOroz Reta J. and Marcos Casquero, M.-A (eds), Etymologias: Edition Bilingüe, Madrid, 1983. を使用した。Berney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳を参照した。

前回 1-5.

イシドルス『語源』翻訳 X-1: 1-5『人間と怪異について』 - Asinus's blog

翻訳

そして人間は二重である、つまり内側と外側がある。人間の内側は魂である。人間の外側は肉体である。魂はもし風(ventus)であるならば、外国由来の名前である。なぜならギリシア語ではventusはἄνεμος (anemos)と呼ばれるからである。それは口で息をする(trahere aerem)ことで生きているからである思われる。しかしこれは明らかに誤りである。なぜなら口で息ができるよりもはるかに前に魂が生み出されたからである。それゆえ空気(aer)は魂ではない。空気が魂であるというのは非物質的であるという魂の本性を理解できない者が考えていたことである。福音記者は霊(spiritus, 息, 風)と魂を同じものとして語っている1

「わたしは魂を捨てることもでき、それを再び受けることもできる」

'Potestatem habeo ponendi animam meam, et rursus potestatem habeo sumendi eam.'

さらに受難の時での主の魂について、前述の福音記者は次のように述べている2

「頭を垂れて息を引き取られた」

'Et inclinato capite emisit spiritum.'

息を引き取る(emittere spiritum)ということは魂を捨てる(quod animam ponere)ということに他ならないのではないか。しかし魂は生きていることによってそのように呼ばれる。一方で霊は霊的な本性、あるいはそれによって肉体に息吹きを与えること(quod inspiret)によってそのように呼ばれるのである。


  1. ヨハネ福音書』10:18. 「命を捨てる」とも訳せる。Διὰ τοῦτό με ὁ πατὴρ ἀγαπᾷ ὅτι ἐγὼ τίθημι τὴν ψυχήν μου, ἵνα πάλιν λάβω αὐτήν.
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  2. ヨハネ福音書』19:30. ὅτε οὖν ἔλαβεν τὸ ὄξος [ὁ] Ἰησοῦς εἶπεν· τετέλεσται, καὶ κλίνας τὴν κεφαλὴν παρέδωκεν τὸ πνεῦμα.
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