Asinus's blog

西牟田祐樹のブログです。

イシドルス『語源』翻訳 X-1: 11-13『人間と怪異について』

はじめに

テキストはOroz Reta J. and Marcos Casquero, M.-A (eds), Etymologias: Edition Bilingüe, Madrid, 1983. を使用した。Berney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳を参照した。

前回 6-10.

イシドルス『語源』翻訳 X-1: 6-10『人間と怪異について』 - Asinus's blog

翻訳

同様にanimus(意志)とanima(魂)は同じものである1。しかし魂は生命(vita)に関して用いられ、意志は意図(consilium)に関して用いられる。それゆえ哲学者たちは「生命は精神なしでも存続し、魂は精神(mens)なしでも存続する」と言っているのである。それゆえamens 2 (正気ではない、愚かな)という言葉があるのだ。知るときには精神と呼ばれ、欲するときには意志と呼ばれる。精神は魂の中で卓越している(eminere)、あるいは記憶している(meminisse)のでそのように呼ばれる3。それゆえ忘れっぽい人(inmemores)のことを愚かな人(amentes)と言うのである。それゆえ精神は魂とは呼ばれず、あたかも頭や眼のように、魂において卓越している(excellere、突出している)ものと呼ばれる。それゆえ人間が精神のゆえに神の似姿4と言われるのである。そしてこれらすべてはあたかも一つのものであるかのように魂に結びつけれられている。なぜなら原因についての働きに応じて、異なった名前が魂に割り当てられているからである。実際、記憶は精神である。それゆえ忘れっぽい人(inmemores)のことを愚かな人(amentes)と言うのである。もしそのものが肉体に生命を与えるならば、魂である。もし正しく判断するならば、理性である。もし呼吸する(spirare)ならば、霊(spiritus)である。もし何かを知覚するならば、感覚である。それゆえ精神はそれが知覚する(sentire)ものであるゆえに感覚(sensus)と呼ばれる。そこから精神は思考(sententia)という名称を得ている。


  1. animusは広義には精神や知性と訳せるが、mensと区別するために意志と訳す。

  2. ab(~から離れて) + mens (正気、知性).

  3. この箇所の語源説明は理由が不明瞭。'en' (mens)と'em'(eminere, meminisse)が共通していることによって説明している? 実際にはmensはインド・ヨーロッパ祖語由来である。

  4. cf. 『創世記』1:26-27.
    神は言った、「我らの像に、われらの姿に似せて、人を造ろう。そして彼らに海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地上を這うすべてを支配させよう」。神は自分の像に人を創造した。神の像にこれを創造した。彼らを男と女とに創造した。(旧約聖書翻訳委員会訳)