はじめに
テキストはOroz Reta J. and Marcos Casquero, M.-A (eds), Etymologias: Edition Bilingüe, Madrid, 1983. を使用した。Berney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳を参照した。
内容が理解しやすいよう適宜改行を行なった。固有名はギリシア語読みにしたが、既存の読み方があった場合はそれに従った。
脚注は不完全であり改訂予定である。
翻訳
教会から離れた(necedere, 逸脱する)異端者たちの内、ある人々はその[教派の]創始者の名前で呼ばれており、ある人々は、選ばれた者たちが定めた理由(causa)に由来して呼ばれる1。
シモン派(Simonianus)は魔術の教えに通じたシモンに由来してそのように呼ばれる。このシモンをペトロは『使徒行伝』で罵倒した。なぜなら使徒たちから聖霊の恵みを金で買収しようとしたからである2。シモン派は次のように言っている。「被造物は神によって創造されたのではなく、至高の力3によって創造されたのである」。
メナンドロス派(Menandrianus)はシモンの弟子である魔術師メナンドロスに由来してそのように呼ばれる。メナンドロスは世界は神によって作られたのではなく、天使たちによって作られたのだと主張した。
バシレイデス派(Basilidianus)はバシレイデスに由来してそのように呼ばれる。バシレイデスは他の数々の冒涜の中で、キリストの受難を否定した。
ニコライ派(Nicolaita)はヒエロソリュマ4教会の助祭であったニコライに由来してそのように呼ばれる。ニコライはステファノスとその他の人々と共にペトロによって任命された。彼は美しさの故に妻を捨てた。それは欲する者が彼女を味わえるようにである。この慣習は相互に妻が取り替えられるというように姦通となった。このことをヨハネは『黙示録』で非難している5。「お前がニコライ派の行いを憎んでいることは取り柄である。」
グノーシス派(Gnosticus)は知恵(cf. γνῶσις, グノーシス)の卓越性ゆえに自分たちのことをそう呼ぶことを好んだ。「魂は神の本性である」と彼らは言う。そして彼らの教義において彼らは善き神と悪しき神を作り出した。
カルポクラテス派(Carpocratianus)はカルポクラテスという人に由来してそのように呼ばれる。彼は次のように言った。「キリストは単なる人間であった。そしてキリストは両方の性から6生まれた。」
ケリントス派(Cerinthianus)はケリントスという人に由来してそのように呼ばれる。他の事どもの内で、彼らは割礼を守った。そして彼らは復活の後に千年の間、肉の喜びを楽しむであろうと予言している。そこから彼らはギリシア語でChiliasta (χιλιάς: 1000)、ラテン語でMiliastus7 (千年至福論者)と呼ばれた。
ナザレ派(Nazaraeus)8はキリスト(彼は出身の村に由来してナザレ人(Nazaraeus)と呼ばれた)が神の子であることを信仰告白しているが、一方で古い法9におけるすべてのことを遵守している。
オピス派(Ophita)10は蛇(coluber)に由来してそう呼ばれている。なぜならcoluberはギリシア語ではὄφις(オピス)と呼ばれるからである。これは彼らが蛇を崇拝しているからであり、彼らは蛇は楽園11に力についての覚知をもたらしたと言っている。
-
cf. 『使徒行伝』8:10.
彼らはすべて、子供から年寄りに至るまで彼に聞き従い、言っていた。「このひとこそは『大いなる力』とよばれる神の力である」。(新約聖書翻訳委員会訳)↩ -
『ヨハネの黙示録』2:6. イシドルスの引用は少し短い。ここでの「お前」とはエフェソにある教会にいる使いのことであり、黙示録の著者ではない。以下の「私」とはキリストのことである。
「しかし、お前がニコライ派の人々の行いを憎んでいること、そのことはお前の取り柄である。彼らの行いは、私も憎んでいる。」(新約聖書翻訳委員会訳)↩ -
イシドルスのこの箇所以外の用例が確認できなかった。↩
-
ナゾラ派ともいう。エピファニオス『薬籠』29章で扱われている。この一派は『使徒行伝』24:5にあるパウロたちユダヤ教ナゾラ派とは別グループ。またナゾラとナザレの関係については以下の論文を参照。
大貫 隆、「原典と翻訳」、『言語と身体 聖なるものの場と媒体』(岩波講座宗教5)収録、pp. 53–78、2004.↩ -
旧約の律法のこと。↩
-
アダムとイブのいた楽園のこと。↩