Asinus's blog

西牟田祐樹のブログです。

イシドルス『語源』翻訳 VIII. 5. 62-68『キリスト教の異端について』

はじめに

テキストはOroz Reta J. and Marcos Casquero, M.-A (eds), Etymologias: Edition Bilingüe, Madrid, 1983. を使用した。Berney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳を参照した。

Isidoro di Siviglia, Etimologie o origini, primo volume, a cura di Angelo Calastro Canale, UTET, 2004.の訳と注釈も参照した。

内容が理解しやすいよう適宜改行を行なった。

脚注は不完全であり改訂予定である。

イシドルス『語源』翻訳 VIII-5: 1-10『キリスト教の異端について』 - Asinus's blog

イシドルス『語源』翻訳 VIII-5: 11-25『キリスト教の異端について』 - Asinus's blog

イシドルス『語源』翻訳 VIII-5: 26-36『キリスト教の異端について』 - Asinus's blog

イシドルス『語源』翻訳 VIII-5: 37-50『キリスト教の異端について』 - Asinus's blog

イシドルス『語源』翻訳 VIII-5: 51-61『キリスト教の異端について』 - Asinus's blog

翻訳

夜眠派(Nyctages)1は眠り(somnus)に由来してそのように呼ばれる。なぜなら彼らは晩祷(vigilia)を拒否しているからである。[晩祷は]迷信[的な儀式]であり、夜を休息に割り当てたという神の法を[晩祷は]犯していると彼らは言っている。

ペラギウス派(Pelagiani)2は修道士ペラギウスが創始した。彼らは神の恩寵よりも自由意志を優先させている。神の命令を果たすためには意志[のみ]で十分であると彼らは言っている。

ネストリウス派(Nestrianus)はコンスタンティノポリスの司教であるネストリウスに由来してそのように呼ばれる。至福なる処女マリアは神の生みの親ではなく、単に人間の生みの親である、なぜなら一方は人性(persona carnis)のペルソナであり、他方は神性のペルソナであるから、と主張した。彼はキリストが神の言葉と肉において一つであるということを信じておらず、それぞれ別個に一方は神の子であり、他方は人間の子であると説いていた。

エウテュケス派(Eutychianus)はコンスタンティノープル修道院長であるエウテュケスに由来してそのように呼ばれる。キリストが人性を受けとった後に二つの本性が共存することを彼は否定し、[人性を受け取った後の]キリストには神性である本性のみがあると主張した。

アケパロス派(Acephalus)3はこの異端の者たちが従っている指導者(caput, 頭)がいないことからそのように呼ばれる。それゆえこの一派の創始者は知られていない。彼らはカルケドンの三章(capitulum, κεφάλαιον)4を弾劾しているが、キリストにおける二つの実体5の固有性(proprietas)を否定しており、キリストのペルソナには一つの本性[のみ]があると説いている。

テオドシウス派(Theodosianus)とガイアヌス派(Gaianita)はテオドシウスとガイアヌスに由来してそのように呼ばれる。ユスティニアノス帝時代のアレクサンドリアで彼らは堕落した民衆たちによる選出によって同じ日に司教に任命された。彼らはエウテュケスとディオスコロスの誤謬に従い、カルケドン公会議[での決定]を否定した。キリストにおいて二つ[の本性]から[合一された]一つの本性[のみ]があると彼らは主張している。テオドシウス派はこの本性は堕落していると主張し、ディオスコロス派はこの本性は堕落していないと主張している。

アグノイア派(Agnoita)とトリテオス派(Tritheita)はテオドシウス派から生まれた。この内、アグノイア派はignorantia(無知)に由来してそのように呼ばれる6。なぜなら彼らが由来するその頑迷さによって「キリストの神性は未来については無知である(ignorare)」と彼らが言い加えているからである。これについては最後の日と時について[聖書に]次のように書かれている。彼らはイザヤ書でキリストのペルソナが次のように言っているのを覚えていないのである、「復讐の日がわが心のうちにあり」7

トリテオス派8は、三位一体において三つのペルソナがあるように、同様に三つの神があると彼らが言い加えていることからそのように呼ばれる。このような説に反して、[聖書には]次のように書かれている、「イスラエルよ聞け、あなたの主である神は唯一の神である」9


  1. 実際はνυστάζωに由来する(Canale, p. 646)。

  2. アウグスティヌスが『ペラギウス派論駁』で詳しく批判している。

  3. Gr. ἀκέφαλος: headless.

  4. 一章はテオドロス自身とその著作、二章はキュロスの司教であるテオドレトスの著作のうち、キュリロスを論駁したもの、三章はエデッサの司教になる前にイバスがマリに送った手紙である。詳細は以下を参照。
    ハンス ユーゲン・マルクス、三章論争へのプレリュード ーエフェソス公会議後の新たな抗争の第一期ー、南山神学、vol. 40、pp. 1-55, 2017.

  5. 神性と人性。

  6. Gr. ἄγνοια: ignorance. ἄ (not) + γιγνώσκω (come to know).

  7. イザヤ書』63:4. イザヤ書63での語り手は預言者イザヤである。この箇所の語り手がキリストであると解釈されている。

  8. τρι- (3) + θεός (god).

  9. Audi, Israel; Dominus Deus tuus Deus unus est."『申命記』6:4.
    マソラ本文「イスラエルよ聞け。われわれの神ヤハウェは唯一なるヤハウェである。」(旧約聖書翻訳委員会訳).
    שְׁמַ֖ע יִשְׂרָאֵ֑ל יְהוָ֥ה אֱלֹהֵ֖ינוּ יְהוָ֥ה׀ אֶחָֽד
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    七十人訳イスラエルよ聞け、我々の主である神は唯一の主である。」(῎Ακουε, Ισραηλ· κύριος ὁ θεὸς ἡμῶν κύριος εἷς ἐστιν·).
    ヴルガタ訳. "audi Israhel Dominus Deus noster Dominus unus est.”