はじめに
テキストはOroz Reta J. and Marcos Casquero, M.-A (eds), Etymologias: Edition Bilingüe, Madrid, 1983. を使用した。Berney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳を参照した。Oroz Reta J. and Marcos Casqueroの西訳とIsidoro di Siviglia, Etimologie o origini, primo volume, a cura di Angelo Calastro Canale, UTET, 2004.の伊訳も参照した。
本章の内容についての日本語の概説書として秦剛平、七十人訳ギリシア聖書入門、講談社、2018がある。
内容が理解しやすいよう適宜改行を行なった。
翻訳
このプトレマイオス1はさらに大祭司エレアザルから旧約聖書を求めて、七十人(セプトゥアギンタ, septuaginta)の翻訳者たちがヘブライ語からギリシア語へと旧約聖書を翻訳するように取り計らった2。それぞれの翻訳者が個室に隔離されたにも関わらず、すべての文書は精霊によって翻訳されたので、彼らの写本にはいかなる他の翻訳者との[内容の]相違や言葉の配列の相違も見つからなかった。
他にも聖書(sacra eloquia)をヘブライ語からギリシア語へと翻訳した翻訳者たちがいた3。例えばアクィラ4、シンマコス、テオドティオン5がそうである。さらに一般の(vulgaris)、著者が明らかではない聖書の翻訳がある。翻訳者の名前が知られていないことから、この翻訳はQuinta Editio(第五の訳)と呼ばれている6。その後にオリゲネスが驚くべき労力で第六と第七の訳を見つけ出し、他の翻訳と比較した。
三つの言語に通じている7司祭ヒエロニムスもヘブライ語からラテン語へと聖書を翻訳し、雄弁に移し替えた。彼の価値のある翻訳は他の翻訳よりも優先された。なぜなら彼の翻訳は他の訳よりも言葉が忠実であって、文意が明瞭である<そして彼がキリスト教とであることから、翻訳はより真正である>からである8。
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以下の史実ではない伝説は『アリステイデスの手紙』の内容である。この部分はアウグスティヌス『神の国』18巻42章が参照されている。↩
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以下はアウグスティヌス『神の国』18巻43章が参照されている。オリゲネスについてはアウグスティヌスの方には言及がない。↩
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アウグスティヌスの対応箇所では"et vulgaris"がない。ここでの文脈はquinta editioはギリシア語訳であることが適合する。七十人訳が第一、アクィラが第二、シンマコスが第三、テオドティオンが第四訳、それに続くのが第五訳ということである。しかしイシドルスはわざわざヴルガタ訳を連想させる"et vulgaris"を挿入していることにより、ラテン語訳を念頭に置いている可能性もある。Reta&Casquero, Canale, Barney et al.は皆、prevulgata、つまりイタラ訳や古ラテン語訳を指すと注釈している。しかしこの後でオリゲネスのギリシア語の第六、第七と続けているのでラテン語訳が挟まると考えるのは不自然である。
Augustinus, De Civitate Dei, Liber 18, 43↩ -
アウグスティヌスはヒエロニムスを評価した後で、他の翻訳よりも七十人訳の権威を重視するべきことを論じている。しかしイシドルスはその部分は用いておらず、ヒエロニムス訳を賞賛する文意に変わっている。↩