はじめに
テキストはOroz Reta J. and Marcos Casquero, M.-A (eds), Etymologias: Edition Bilingüe, Madrid, 1983. を使用した。Berney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳を参照した。Oroz Reta J. and Marcos Casqueroの西訳とIsidoro di Siviglia, Etimologie o origini, primo volume, a cura di Angelo Calastro Canale, UTET, 2004.の伊訳も参照した。
本章のギリシアについての内容はゲッリウスの『アッティカの夜』7.17.17と共通している。アレクサンドロス大王について文はゲッリウスにはない。
Aulus Gellius, Attic Nights, BOOK VII, XVII
内容が理解しやすいよう適宜改行を行なった。
翻訳
Bibliotheca (βιβλιοθήκη, 図書館、文庫)はギリシア語由来の名前である。それはそこに書物が保存されるからだ。なぜならβιβλίων(書物の)はlibrorum, θήκη(容れ物)はrepositio(保管)と翻訳されるからである。
カルデア人1に律法を燃やされた後、ユダヤ人たちがエルサレムに帰還した際に、聖霊に霊感を受けた律法学者のエズラは旧約聖書の文庫(bibliotheca)を再建した。そして異邦人たちのもとで損なわれていた律法と預言書全体を修正し、律法2における書物の総数が[ヘブライ語の]文字と同数の22となるように旧約聖書を編纂した3。
ギリシア人たちのもとでは、アテナイ人僭主のペイシストラトスが初めて文庫を設立したと考えられている。その後に、クセノクラテスはアテナイが燃やされた際に、アテナイ人たちによって増設されたこの文庫をペルシアへと運び出した。遥か後に、セレウコス・ニカノールがギリシアへ再びこの文庫を持ち帰った。
この後には他の王や都市の間で様々な国民の書物を蒐集し、翻訳者によってギリシア語へと翻訳しようとする熱意が生じた。
その後にアレクサンドロス大王や彼の後継者たちはすべての書物からなる図書館を建てることに心を向けた。特にすべての書物に最も通じているプトレマイオス・フィラデルフォスが、ペイシストラトスの文庫の熱意と張り合い、一つの国民の書物だけではなく、聖書をも彼の図書館に蒐集した4。それゆえその当時のアレクサンドリア図書館では七万冊もの書物を見ることができた。