Asinus's blog

西牟田祐樹のブログです。

イシドルス『語源』翻訳 VI. 2. 8-17『聖書の著者と名称について』

はじめに

テキストはOroz Reta J. and Marcos Casquero, M.-A (eds), Etymologias: Edition Bilingüe, Madrid, 1983. を使用した。Berney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳を参照した。Oroz Reta J. and Marcos Casqueroの西訳とIsidoro di Siviglia, Etimologie o origini, primo volume, a cura di Angelo Calastro Canale, UTET, 2004.の伊訳も参照した。

前回VI-2:1-7 (モーセ五書).

イシドルス『語源』翻訳 VI-2: 1-7『聖書の著者と名称について』 - Asinus's blog

詩篇の番号は七十人訳のではなく、ヘブライ語聖書のものを用いる。

内容が理解しやすいよう適宜改行を行なった。

翻訳

ヨシュア記(Iosue liber)はヌンの子ヨシュアからそのように名付けられている。この書は彼の生涯[についての記述]を含んでいる。ヘブライ人はヨシュア自身がこの書の著者であると主張している。この書の本文では、ヨルダン川を渡った後で、敵たちの王国が破壊される。そしてイスラエルの民のために土地が分割される。それぞれの都市と村と山と境界によって、教会の霊的な諸王国と神的なエルサレムが予型されているのである。

士師記(Judicum)は国民の中の第一人者に由来してそのように呼ばれている。彼らはモーセヨシュアの後でかつダヴィデと他の王たちが存在する前にイスラエルを指導した。サムエルがこの書を書き表したと信じられている。

サムエル記(Liber Samuel)にはそのサムエルの誕生と彼の祭司職と事績とが書き記されており、そこからこの名前を得ている。そしてこの書がサウルとダヴィデの生涯についての記述を含んでいても、この両者はサムエルと関連づけられている。なぜならサムエルがサウルに王としての油を注ぎ1、サムエルがダビデに後の王としての油を注いだからである2。サムエル自身がこの書[サムエル記]の最初の部分を書き留め、ダヴィデが終わりまでの続きの部分を書いた3

列王記(Malachim)は、ユダとイスラエルの部族の王国とその事跡が時間の順序に沿って分けられていることから、そのように呼ばれる。 ヘブライ語のMelachim(מְלָכִים, 諸王)はラテン語ではregum(諸王)と翻訳される。エレミアが初めてこの書を一巻に編集した。その[エレミアによる編集の]前は、それぞれの王の生涯[の資料が]散在していた。

ギリシア語のParalipomenon(歴代誌) - 我々[ラテン語話者]はpraetermissorumあるいはreliquorum (補遺)と言うことができる - は次のような理由でそのように呼ばれる4。それは律法の書や諸王の書で省略されたり完全には語られなかった事柄が、この書に要約して簡潔に説明されているからである。

ある者はヨブ記(Librum Iob)はモーセが書いたのだと考えている。預言者の内の一人が書いたのだと考える人もいる。そして皮膚病を患った後のヨブ自身が受難についての著者であったと考えている者もいくらかはいる。皮膚病による霊的な戦いに耐えたヨブ自身が勝利を成し遂げたことを語っているのだと彼らは考えている。ヘブライ人によるとヨブ記の最初と最後の部分は散文で構成されている。しかし中間の「滅びよ、私が生まれたその日」と語られる箇所5から「それゆえ、自らを叱責し、悔い改めます」(idcirco ego me reprehendo et ago poenitentiam)の箇所6まではすべて英雄脚(ヘクサメトロス、六脚韻)で語られている7

詩篇(Psalmorum liber)はギリシア語ではpsalterium(ψαλτήριον)、ヘブライ語ではナブラ(nabla, 竪琴)8ラテン語ではorganumと呼ばれている9詩篇(Psalmorum liber)と呼ばれるのは一人の預言者が竪琴(psalterium)に合わせて歌って、コーラスが調和したトーンで答えるからである。詩篇ヘブライ語のタイトルはセペル・テヘリーム(Sepher Thehilim, סֵפֶר תְּהִילִּים)であり、これは[ラテン語では]volumen hymnorum(諸賛歌の書)と翻訳される。詩篇の著者は[それぞれの歌の]表題で言及されている者たちである。それはモーセ10ダヴィ11、ソロモン12、アサフ13、エタン14、イェドトン15、コラハの子ら16、エマン17エズラハ人18、その他の人々である。エズラがこれらの歌を一巻の本に編集した。ヘブライ人の聖書では詩篇のすべての詩は歌の韻律で書かれていることはよく知られている。ローマ人であるホラティウスギリシア人であるピンダロスの様式のように、イアンボス調で進む詩もあれば、アルカイック調で鳴り響く詩もあれば、サッポー調のトリメトロスで洗練されている詩もあれば、またテトラメトロスの韻律で進む詩もある。


  1. サムエル上10:1.

  2. サムエル上16:13.

  3. 七十人訳で既にサムエル記が二つに分けられている。

  4. 『語源』VI-1では列王記の次はイザヤ書であったが、VI-2では歴代誌が次に来ている。本章での説明される順番はこの後もVI-1の分類に一致していない。

  5. ヨブ3:3.

  6. ヨブ42:6. 「それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し自分を退け、悔い改めます。」(新共同訳)、イシドルスでは"in favilla et cinere"がない。
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  7. 情報源はヒエロニムス『ヨブ記序文(ヘブライ語版)』。石川・加藤訳注8 (加藤哲平, 2018, p. 293)を引用する。
    ヨブ記は実際にはヘクサメトロスでは書かれていない。聖書のヘブライ詩には、並行法、拍構造、韻など詩としての形式上の特徴が見られるが、ギリシア・ラテン詩のような韻律は存在しない(石川立「ヘブライ詩歌の技法」『聖書学用語辞典』日本キリスト教出版局、2008年、311-12頁)。おそらくヒエロニムスは、ラテン語読者に対してヘブライ詩を説明するために、便宜的にギリシア・ラテン詩の話を持ち出したのだろう。」

  8. 対応するヘブライ語はナベル(נֶבֶל)、ナブラはギリシア語(νάβλα)である. ヘブライ語ではתְּהִילִּים (諸々の賛歌)と呼ばれていた。

  9. 例えば詩篇33:2で竪琴への言及がある。
    ヤハウェを讃えよ、琴(כִנֹּור)をもって。十弦の竪琴をもって(בְּנֵ֥בֶל עָ֝שֹׂ֗ור)、かれをほめ歌え。」(旧約聖書翻訳委員会訳)

  10. 詩90.

  11. 詩3-9, 11-32, 34-41,51-65, 68-70, 86, 101, 103, 108-110, 124 , 131, 133, 138-145.

  12. 詩72, 127.

  13. 詩50, 73-83. アサフとエタンについては代上15:17を参照。

  14. 詩89.

  15. 詩39, 62, 77. cf. 代上16:41-42, 25:1.

  16. 詩42, 44-49, 84-85, 87-88.

  17. 詩88. エズラハ人へマン。cf. 王上5:11.

  18. エズラハ人については先に出たエズラハ人ヘマンとエズラハ人エタンしか登場しない。ここでは重複して数え上げられているのか。