Asinus's blog

西牟田祐樹のブログです。

イシドルス『語源』翻訳 VI.2. 18-33『聖書の著者と名称について』

はじめに

テキストはOroz Reta J. and Marcos Casquero, M.-A (eds), Etymologias: Edition Bilingüe, Madrid, 1983. を使用した。Berney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳を参照した。Oroz Reta J. and Marcos Casqueroの西訳とIsidoro di Siviglia, Etimologie o origini, primo volume, a cura di Angelo Calastro Canale, UTET, 2004.の伊訳も参照した。

前回

イシドルス『語源』翻訳 VI-2: 1-7『聖書の著者と名称について』 - Asinus's blog

イシドルス『語源』翻訳 VI-2: 8-17『聖書の著者と名称について』 - Asinus's blog

内容が理解しやすいよう適宜改行を行なった。

注釈は不完全であり、改定予定である。

翻訳

イスラエルの王であるダビデの子ソロモンは自分の名前の数に合わせて1三巻の本を編集した、その第一はマスロットである。ギリシア人はこれをParabola(παράβολα, 箴言)と呼び、ラテン語話者はProverbiorumと呼ぶ。なぜなら、この書ではソロモンは類似性を比較することで、言葉の像と真理の像とを示しているからである2。真理自体は読者が[自力で]理解するために[隠されたものとして]残してあるのである。

ソロモンは第二の書のことをコヘレトと呼んだ。この書はギリシア語ではEcclesiastes(伝道の書, Ἐκκλησιαστής)と呼ばれ、ラテン語ではContionator(伝道者)と呼ばれる3。なぜなら、彼の言葉は箴言のように特別に一人の者に向けられているのではなく、より一般にすべての者に向けられているからである。彼は我々が世界で見かけるすべての物事が短く虚しく、それゆえできるだけ求め欲するべきではないことを教えている。

第三の書はSir hassirim (שִׁיר הַשִׁירִים, 雅歌)という表題が付けられた。この書はラテン語にはCanticum canticorum(歌の中の歌)と翻訳される。この書では祝婚歌の形で、キリストと教会の結婚4を神秘的に歌っている。Canticum canticorumとも呼ばれるのはこの書の歌が聖書に含まれている[他の]すべての歌よりも優れているからである。これは律法において聖なるもの(sancta)と呼ばれるものの内で、より優れたものがsancta sanctorumと呼ばれるのと同様である5。ヨセフスとヒエロニムスが書いているように、これら三つの書の歌はヘブライ語版ではヘクサメトロスやペンタメトロスの韻律で書かれていた。

預言者というよりもむしろ福音書記者であるイザヤは、彼の書[イザヤ書]を編纂した6。その書ではすべての本文は雄弁な散文で進んでいる。しかし歌の部分はヘクサメトロスとペンタメトロスの韻律で流れていく。

同じく、エレミアは彼の書[エレミア書]を彼の哀歌(threnus, θρῆνος)と一緒にして編纂した。この書のことを我々はLamentaと呼ぶ。なぜなら不幸や葬儀の際に哀歌は用いられるからである。この書で彼は異なる韻律で四つのアルファベット詩を創作している。初めの二つはサッポーのような韻律で書かれている。なぜなら、[これらの詩では]一つの[アルファベットの]文字で始まり、互いに結ばれた三つの短句を英雄詩脚のコンマが締めくくっているからである。三つ目のアルファベット詩は三複詩脚7によって書かれており、三つの詩行が同じ三つの文字で始まっている8。第四歌は、第一歌と第二歌[の両方]と類似している9

エゼキエル書とダニエル書は賢者の誰かによって書かれたと言われている。その中でもエゼキエル書の初めと終わりの部分は多くの不明瞭な箇所を含んでいる。一方で、ダニエル書は明瞭な言葉で世の王国について告げており、そして非常に明瞭な予言によってキリストに敵対する時代について書き留めている。

彼らが大預言者と呼ばれる四人の預言者である10。なぜなら彼らは大部の著作を著したからである。 十二預言書は著者の名前によって呼ばれている。この著者たちは小預言者と呼ばれる。なぜなら彼らの言葉(文書)は短いからである。それゆえ互いに繋がった[12の]著作が一つの巻に一緒にされている。その著者たちの名前は以下の通りである。ホセア、ヨエル、アモス、オバデア、ヨナ、ミカ、ナホム、ハバクク、ゼファニア、ハガイ、ゼカリア、マラキである。

エズラ記は著者の名によって表題が付けられている。その本文ではエズラとネヘミアの両方の言葉が含まれている。一巻のエズラ書について言われて誰も困惑するべきではない。なぜならヘブライ人の聖書には第二、第三と第四のエズラ書は含まれておらず、アポクリファの中に入れられているからである。

エズラエステル書を書いたと信じられている。神の教会の似像である王妃[エステル]が民を隷属と死から解放したことが書かれている。そして不正の象徴であるハマンを殺害した日に、子孫のために祭りが制定された11

知恵の書はヘブライ人の聖書にはない。そのことと表題自体からもよりギリシアの匂いがする。ユダヤ人たちはこの著作はフィロンのものだと主張している。そしてこの書が知恵の書と呼ばれるのは、この著作において、父の知恵であるキリストの到来と彼の受難が明瞭に表現されているからである。

集会の書は確実に、エルサレム出身で、ゼカリアも言及している12大司祭ヨシュアの孫である、シラの息子ヨシュアが著作したものである。ラテン語の聖書ではソロモンの雄弁さと類似していることから、ソロモンの名が表題に付けられている。この書が集会の書と呼ばれるのは、すべての教会の規律に関して、多大な配慮と考慮のもとで、宗教的な生活について書き表されているからである。この書はヘブライ人の聖書にも見出されるが、アポクリファに入れられている。

ユディト書とトビト書とマカベア書の著者についてはほとんど何も明らかではない。その事跡が書かれている人物の名前からそれぞれの著作名がついている。


  1. VII-6.65では「ソロモンには三つの名前があると言われていた」ことについて述べられている。その三つとはSolomon, Ididia, Cohelethである。イェディデヤ(Ididia, יְדִידְיָהּ)はサムエル記下12:25にだけ出てくる、「ヤハウェに愛された者」の意味。

  2. cf. 箴言1:6. παράβολα (παραβολή)には「箴言」の他に「比較」や「比喩」の意味がある。「言葉の像」は比喩の意味、「真理の像」はアレゴリーや予型の意味に解する (Canale)。

  3. ヒエロニムスのソロモンの書(ヘブライ語版)序文(line 11-12)参照。
    “Coeleth, quem graece Ecclesiasten, latine Contionatorem possumus dicere”

  4. cf. 黙示録19:7, IIコリ11:2, エフェソ5:24.

  5. 至聖所に対する表現である (קֹדֶשׁ הַקֳּדָשִׁים)。

  6. 預言者というよりもむしろ福音書記者である」と雄弁さについての言及はヒエロニムスの「イザヤ書序文」が参照されている。

  7. イアンボス・トリメトロスのこと。

  8. 第三歌は行頭が三つずつAAA, BBB, CCC, …という形をしている。
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  9. アルファベット歌になっているということ。

  10. イザヤ、エレミア、エゼキエル、ダニエルの四人のこと。

  11. エステル9:20-32. プリム祭のこと。

  12. ゼカリヤ3:1.