Asinus's blog

西牟田祐樹のブログです。

アナピアスとアンフィノムス

福沢諭吉の子供向けの本『童蒙をしへ草』は、チェンバース(William Chambers and Robert Chambers)のThe Moral Class-book (1839)の翻訳であり、イソップ寓話を含め、西洋古典の話も含まれている。その中で、第二章(ロ)には、親を大切にする若者の話として、アナピアスとアンフィノムス(Anaphias and Amphinomus)の逸話が取り上げられている。この話は聞いたことがなかったので、その逸話の出どころについて調べてみた。残念ながらチェンバースが依拠した資料と伝承経路については調べがつかなかったが、ギリシア・ローマ時代の著作の中に、そのいくつかの出どころは見つかった。

その逸話とは以下のような話である1

アナピアスとアンフィノムス

火山とは頂上が窪んでいて、そこから煙や、炎や、岩石や、溶岩が、時に非常な激しさで吹き出すような山のことです。シチリアのエトナ山は、ヨーロッパで最も有名な火山です。何百年も前、いつになく激しい噴火が、この山に起きました。燃え盛る噴火物が、さまざまな方向に降り注ぎ、村全体を打ちこわし、空気は噴石と灰に覆われました。近隣の国の住民は、最も価値のある財産を持って、命を守るために避難しました。そのような自分の財産をたいそう気にする人々の中に、彼らとはたいそう異なる種類の重荷を背負った、アナピアスとアンフィノムスという二人の若者がおりました。彼らは年老いた両親のみを背負っていました。両親を他の仕方では守れなかったのです。

この若者たちの行いは、たいへんな賞賛を引き起こしました。彼らはたまたま、周りは焼け焦げ真っ黒となっているのに、彼らの選んだ道は噴火物が落ちてこず、噴火後も緑のままでした。ひどく無知であるが良い心を持った人たちは、若者たちの善い心のために、奇跡によってこの野原は守られたのだと信じていました。そして、この道は以降、孝行の野と呼ばれていました。

福沢諭吉の翻訳と原文との重要な異同は特にない。

ギリシア・ローマでの情報源

この話は今ではマイナーだが、当時有名だったようで複数の文献に現れていた。このエトナ山の噴火とはBC.122の大噴火のことである。以下、順不同で紹介する2

パウサニアス『ギリシア案内記』10.28.4

カロンの船のちょうど真下に当たるアケロンの川岸に親不孝者の男がいて、父親に喉首を締めつけられている。昔の人たちは両親をとても大切にしたものであって、いろいろと事例はあるが、とくにカタナ市のいわゆる「エウセベイス(敬虔な者たち)」に照らして明らかである。すなわち、アイトナ(エトナ)山の火と燃える溶岩がカタナの町に向かって流れ出したとき、彼ら兄弟は金銀にはまったく目もくれずに、ひとりは母親を、もうひとりは父親を担いで逃げようとした。だが、彼らの逃げ足は難儀で遅く、火炎を噴く溶岩は迫ってあわや彼らを一呑みという勢いであった。それでも彼らは両親を投げ出さなかったので、伝承によれば、溶岩の流れが二股に分かれて、彼ら若者たちにも、その両親にも痛い目ひとつ遭わせることなく脇を通り過ぎて行ってしまったという。

ストラボン『地誌』6.2.3

この地[カタナイア]の、アンピノモスとアナピアの敬虔についての話が、何度も語られてきた。彼らは両親を肩に背負って運び、迫り来る死から救ったのである。

ウァレリウス・マクシムス『著名者言行録』5.4.ext.4

さらに有名なのは、クレオスとビトンの兄弟と、アンピノモスとアナピアスの兄弟である。前者はユノ女神の祭礼に参加するために、母親を[自分たちで]運んだ3。後者は火の中を、父と母を肩に担いで運んだ。だがアンピノモスとアナピアスのどちらも、両親の命のために死ぬことはなかったと言い伝えられている。

逸名著者の詩『アエトナ』4

Two noble sons, Amphinomus and his brother, gallantly facing an equal task, when fire now roared in homes hard by, saw how their lame father and their mother had sunk down (alas!) in the weariness of age upon the threshold.​ Forbear, ye avaricious throng, to lift the spoils ye love! For them a mother and a father are the only wealth: this is the spoil they will snatch from the burning. They hasten to escape through the heart of the fire, which grants safe-conduct unasked. O sense of loving duty, greatest of all goods, justly deemed the surest salvation for man among the virtues! The flames held it shame to touch those duteous youths and retired wherever they turned their steps. Blessed is that day: guiltless is that land. Cruel burnings reign to right and left. Flames slant aside as Amphinomus rushes among them and with him his brother in triumph: both hold out safely under the burden which affection laid on them. There — round the couple — the greedy fire restrains itself. Unhurt they go free at last, taking with them their gods in safety. To them the lays of bards do homage: to them under an illustrious name has Ditis allotted a place apart. No mean destiny touches the sacred youths: their lot is a dwelling free from care, and the rightful rewards of the faithful.

この話は古代のコインにも刻まれている。

Herennia coins - ANCIENT ROMAN COIN - OFFICIAL WEBSITE

分析

The Moral-Class Bookの記述に一番近いのはパウサニアスの記述である。ただし、パウサニアスの記述では、兄弟の名前は書かれていない。ストラボンの記述には、兄弟が無事だったという記述が含まれていない。「ひどく無知であるが良い心を持った人たち」には、奇跡というものに対する若干のネガティブなニュアンスがある。

参考文献

現代語訳 童蒙おしえ草 ひびのおしえ、福沢諭吉著 岩崎弘訳、角川文庫、2006.

ギリシア案内記(下)、パウサニウス著 馬場恵二訳、岩波書店、1992.

The moral class-book : Chambers, W : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive

童蒙をしへ草. 初編. 一 | 慶應義塾大学メディアセンター デジタルコレクションDigital Collections of Keio University Libraries

Strabo, Geography, Book 6, chapter 2, section 3

Strabo, Geography, Book 6, chapter 2, section 3

Collections Online | British Museum

LacusCurtius • Aetna

Valerius Maximus, Facta et Dicta Memorabilia, LIBER QVINTVS, chapter 4(ext), section 4

Herodotus, The Histories, Book 1, chapter 31


  1. 折角なので比較のために、福沢諭吉の翻訳ではなく、チェンバースのテキストから翻訳した拙訳を載せる。原文は参考文献のものを使用した。
  2. パウサニアスは岩波の馬場恵二訳 (下巻, p.281)。ストラボンとウァレリウス・マクシムスの訳は拙訳。原文は参考文献のものを使用した。
  3. ヘロドトス『歴史』1.31.
  4. Minor Latin Poets vol. 1, Loeb Classical Library, 1934, pp. 351‑419の訳を載せる。以下の注釈62が非常に参考になった。
    "Claudian, Carmina Minora, XVII (L), has an elegiac poem on the statues of the two brothers, Amphinomus and Anapius at Catina now Catania. For allusions to their pietas cf. Strabo, VI.2.3 (C. 269), who calls the second brother Anapias; Sen. Benef. III.37.2; Martial, VII.24.5; Sil. Ital. XIV.197. Hyginus, Fab. 254, gives them different names. Their heads appear on both Sicilian and Roman coins, e.g. Head, Hist. Num. 117; Brit. Mus. Cat."