Asinus's blog

西牟田祐樹のブログです。

『童蒙をしへ草』でのソクラテス像

福沢諭吉『童蒙をしへ草』巻の三「怒の心を程能くし物事に堪忍し人の罪を免す事」の第十五章で、ソクラテスの怒りに関する逸話が出てくる1。読んでみるとプラトンの対話編ではソクラテスが言わなそうなことが、書かれていることにすぐに気づくだろう。そこで、この章に含まれる逸話の古代における出どころを調べてみる。

結論から先に書くと、をしへ草での逸話はソクラテスと同時代の一次資料であるプラトン、クセノフォン、アリストファネスの著作のいずれにも直接は由来していない2。つまり、をしへ草の逸話は後の時代に賢人であるソクラテスの逸話とされたものであるので、創作である。セネカが『怒りについて』でソクラテスに言及している箇所と、ディオゲネス・ラエルティオスの逸話の二つの資料が主に用いられている。セネカを情報源としていることにより、をしへ草でのソクラテス像は、ストア派が描く理想像(賢者)に近いものとなっている3

翻訳

をしへ草の翻訳元となったThe Moral-Class Bookから訳出する。福沢諭吉の翻訳と原典では内容上重要な相違はない。

ギリシアの哲学者ソクラテスには、怒りやすいという気質を抑制する力を身につけたという点で稀有な人でした。

彼は友人に、怒り出しそうになったのを見た時は知らせてくれるように頼んでいました。友人によれば、彼の怒りの最初の兆候は、声の調子を和らげ、無口になることでした。

奴隷に対する激しい怒りに気づいた時、「もし怒っていなかったら、お前を打ったのだが」と言いいました。

耳を拳固で殴られた時、「いつ兜をつけていればいいか分からないのは厄介なことだ」と微笑みながら言うだけで満足しました。

ソクラテスは身分の高い人に人に道で会い、挨拶をしました。けれども、その人は無視しました。一緒にいて側で見ていたソクラテスの友人は、「あの人の無礼はひどく腹立たしいんで、僕らはとても憤慨しているよ」と言いました。けれども、彼はとても穏やかにこう答えました。「もし君たちが道で、君よりも体の性質が悪い人に会ったならば、そのことで君たちは怒る理由があると思うかい。もしないならば一体、君たちよりも心の性質がもっと悪い人に激怒する、どんなもっと大きな理由があり得るんだい。」

しかし、彼は家に出なくても、すべての点で十分に忍耐を培うことができると考えていました。粗探し家で、激情家で、激しい気性である妻のクサンティッペが、このことの紛れもない証拠でした。こんなに激しく、気狂いじみていて、気性難な女性は他に類を見ませんでした。彼女から被らなかったいかなる種類の罵りや不当な仕打ちもありませんでした。ある時、彼女はソクラテスに対する怒りに満ちていたので、通りで彼の上着を引き裂きました。その時、彼の友人はこんな仕打ちは我慢ならない、一発お見舞いしてやるべきだとソクラテスに言いました。「まったく、いい競技だろうさ、彼女と僕が互いに殴り合っている間、君たちがこの勝負を囃し立てるならば。誰かが『よくやった、ソクラテス』と叫べば、別の誰かが『いいパンチだ、クサンティッペ』と叫ぶならば。」

またある時、彼女の怒りが伝え得たあらゆる雑言が噴き出した時、彼は外に出て、玄関の前に座っていました。彼の穏やかで無関心な振る舞いがより一層彼女を苛立たせました。そして、彼女は怒り余って、階段を駆け上り、桶いっぱいの汚水を彼の頭にぶっかけました。それに対し、彼はただ笑って言いました。「こんなに雷が落ちたんだから、雨が降るに決まっているさ。」

古代での情報源

上の話に対応する順序で対応する情報源を紹介する。

キケロトゥスクルム荘対談集』4.80

ゾーピュロスは、いかなる相手の本性も外見から見抜くことができると自慢していたが、あるとき公衆の面前でソークラテースの欠点を次から次へと数え上げた。多くの者は、そのような欠点などソークラテースには認められないと言って笑ったが、ソークラテース自身がこう助け舟を出した。つまり、自分は生まれつきそのような点をもっていたが、理性の力で払いのけたのだ、と語ったのである。

セネカ『怒りについて』3.13.3

ソークラテースの場合、怒りの徴は声が低くなること、口数が少なくなることであった。そのとき、彼が自分に抗っているのが窺えた。だから、親しい人々もそれと分かって指摘したし、隠れた怒りに対する叱責は彼にとってもありがたかった。どうして嬉しくなかったことがあろう。多くの人が自分の怒りに気づいていながら、誰もそれを感じないのだから。だが、仮にもし彼が友人たちに自分を叱る権利を与えていなかったならばー彼自身、友人に対するその権利を自分に与えていたのだがー、彼らは彼の怒りを感じたに違いない。

セネカ『怒りについて』1.15.3

まして、罰する者が怒るなど、とんでもない。懲罰は、冷静な判断によって科せられている場合、矯正の効果が増大するものである。ソークラテースが奴隷に向かって、「もしも私が怒っていなかったら、お前を打ったところだ」と言ったのも、このためである。そのとき、彼は、奴隷に対する叱責を正気の時に延期して、自分自身を叱ったのだ。それにしても、抑制の利いた情念など、いったい誰にあるというのか。ソークラテースすら、自分を怒りに託そうとはしなかったのに。

兼利琢也氏の注には以下のようにある。

「この逸話は、別伝(ウァレリウス・マクシムス『著名言行録』4.1.外国篇1、キケロー『トゥスクルム荘対談集』4.78ほか)ではピュータゴラース派のアルキュータースに帰されており、ソークラテースとするのはセネカだけである。同様なプラトーンの逸話は、『怒りについて』第3巻12章5-6節参照。」

逸話をソクラテスに帰しているのがセネカだけであるので、をしへ草の逸話にはセネカが用いられたのが確定する。

セネカ『怒りについて』3.11.2-3

怒りは多くの仕方で阻止しなければならない。たいていは戯れや冗談に変えるのがよい。ソークラテースは、拳固で殴られたとき、ただこう言って済ませたとのことだ。人がいつ兜をかぶって外出すべきなのか分からないとは厄介なことだ、と4

セネカ『怒りについて』2.10.1-3

むしろ、誤りに対して怒るべきではないと思いたまえ。もし誰かが、暗闇の中に覚束ぬ足取りで歩む人に怒るとしたらどうだ。耳の聞こえない人が命令を聞いていないのならどうだ。子供が果たすべき務めを気に留めず、遊びや仲間同士の他愛ない戯れに熱中しているならどうだ。病気の人、高齢の人、疲労困憊する人に怒るとしたならばどうだ。死すべき人間の数多の災いには、心の靄と不可避の誤りに加え、誤りの愛好すら含まれる。<中略>

われわれはこんな条件の下に生まれている。体の病に数で劣らぬ心の病に罹りやすい動物、鈍くものろくもないが、己の才知を悪用する動物、互いが互いの悪徳の手本でしかない動物だ。

「徳は高潔な事柄に好意を抱く。それと同様に、卑劣な事柄には怒ってしかるべきだ」という見解(2.6.1, p.138)に対して、賢者は他人の過ちに対して怒ることはないということをセネカは説明する。その説明において上記の一節が現れる。ここではソクラテスに言及していないが、をしへ草にある逸話は思想内容的にはこの一節と合致する。この記述が逸話化されたと考えることが可能である。

ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』2.5.37

あるとき彼女が、広場で彼の上衣までも剥ぎ取ろうとしたとき、(そばにいた)彼の知人たちが、手で防いだらどうかと勧めた。すると彼は、「そうだよね。われわれが殴り合っている間、諸君の一人ひとりが、『それ行け、ソクラテス!』『そらやれ、クサンティッペ!』と囃し立ててくれるためにはね」と答えた。 彼はよく、気性の激しい女と一緒に暮らすのは、ちょうど騎手がじゃじゃ馬と暮らすようなものだと言っていた。「しかし、彼ら騎手たちがこれらの馬を手なずけるなら、他の馬もらくらく乗りこなせるように、ぼくもまたそのとおりで、クサンティッペとつき合っていれば、他の人びととはうまくやれるだろう」と言ったのである。

ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』2.5.36

初めのうちはがみがみと小言を言っていたが、のちには彼に水をぶっかけさえしたクサンティッペに対して、彼はこう応じた。「ほうら、言っていたではないか。クサンティッペがゴロゴロと鳴り出したら、雨を降らせるぞと。」

その他関連箇所

プルタルコス『怒りを抑えることについて』445A-B

ソクラテスが、自分は友人の誰かに不快の念を募らせていると感ずることがあると、そのたびに、

波洗う岬を超えて嵐が来る前に

態勢を整え、声の調子を落として顔には笑みを浮かべ、まなざしを一段と穏やかにしていたのも、そのためである。すなわち、もう一方の側に傾きを見せ、感情とは正反対の方向に動くことにより、自分自身を、過つことも感情に負けることもないよう守り通そうとしていたのである。

クセノフォン『饗宴』2.10

すると、アンティステネスが「それでは、ソクラテス」と言った。「そういう認識をもちながら、どうしてあなたもクサンティッペを教育せず、現在いる女たちの中で、そして私の思うに、これまで過去にいた女たち、また将来いるであろう女たちの中で、最も扱いにくい女と生活を共にしているのですか」

ソクラテスが答えるには、「それは、すぐれた騎手にならんとする者どもも、最も従順な馬ではなく、むしろ気性の荒い馬を手に入れるのを私は見ているからだ。彼らはそういう馬を制御できれば、他の馬はたやすく扱えるだろうと考えているのだから。それで、私もまた人間を扱い、人間と交際したいと思って、あの女を得ているのだが、それは、あの女に耐えうれば、私は他のすべての人間とたやすく一緒にいられるだろうということをよく知ってのことだ。」

クセノフォン『ソクラテスの思い出』2.2.7 ソクラテスと息子のランプロクレスとの対話で、息子が母親のことを「あの人の気難しさには誰も我慢できないに違いないよ」とまで言う(p.111)。

参考文献

現代語訳 童蒙おしえ草 ひびのおしえ、福沢諭吉著 岩崎弘訳、角川文庫、2006.

怒りについて、セネカ著 兼利琢也訳、岩波書店、2008.

キケロー選集 12 哲学V トゥスクルム荘対談集、キケロー著 木村健治・岩谷智 訳、岩波書店、2002.

ギリシア哲学者列伝(中)、ディオゲネス・ラエルティオス著 加来 彰俊訳、岩波書店、1967.

モラリア6, プルタルコス著 戸塚七郎訳、西洋古典叢書、2000.

ソクラテスの思い出、クセノフォン著 相澤康隆訳、光文社、2022.

ソクラテスの弁明 饗宴、クセノポン著 船木英哲訳、 文芸社、2006.

童蒙をしへ草. 初編. 三 | 慶應義塾大学メディアセンター デジタルコレクションDigital Collections of Keio University Libraries

The moral class-book : Chambers, W : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive

M. Tullius Cicero, Tusculanae Disputationes, book 4, section 80


  1. 前回の『童蒙をしへ草』に関する記事はこちら。
    アナピアスとアンフィノムス - Asinus's blog
    正確にはをしへ草の翻訳元のThe Moral-Class Bookに書かれている内容だが、煩雑さを避けるためこの記事では区別せずに「をしへ草の逸話」と呼ぶことにする。この記事での引用はすべて参考文献に挙げられている文献による。ページ数も同様。
  2. ただし(悪)妻クサンティッペの性格のみはクセノポンに含まれている記述と一致する。
  3. セネカ『幸福な生について』25.4では「かのソークラテースなら、君にこう語るはずだ」という前置きで、セネカ自身の思想が語られる(26.4以下も同様)。セネカソクラテスを賢者のように見なしている。
  4. 兼利琢也氏の注には以下のようにある(p.351)。
    このソークラテースの逸話は、ディオゲネース・ラエルティオス『哲学者列伝』6.41では、キュニコス派の祖シノーペーのディオゲネースに帰されている。」