Asinus's blog

西牟田祐樹のブログです。

イシドルス『語源』翻訳 II-11 格言について

はじめに

テキストはP.K.Marshell, Etymologies. Book II, Rhetoric with translation and commentaties, Paris, 1983. を使用した。また同書中の英訳とBerney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳も参照した。

ラテン語でSententiaとなっているものはギリシア語ではgnomēであり、crianとなっているものはギリシア語ではchreiaである。gnomēとchreiaの区別はAphthoniusのProgymnasmataに現れている1。 プロギュムナスマタとは模擬弁論を学ぶのに先立って収めるべき予備的訓練(pro 前 + gymnasmata 訓練)のことである2。 格言についてはアリストテレスの『弁論術』2.21 (1394a-1395b)で弁論術における格言(maximē)の定義と使用法について語られている。

chreiaの概説としては以下の1-2章にある。J.Päll, The practice of chreia at the academia gustavo-carolina(1690-1710) in dorpat (tartu), A.Steiner-Weber, ed. Acta Conventus Neo-Latini Upsaliensis. vol. 2. Leiden-Boston 2012: Brill, 789-800.

翻訳

格言(Sententia)とは非個人的な言明のことである。例えば

忠誠は友を作り出すが、真実は憎しみを作り出す。

(Obsequium amicos, veritas udium parit.)

もし人物がこれに付け加えられるならば要録(crian)3になる。 例えば次のものがそうである。「アキレウスは真実を言うことでアガメムノンの気分を害した」、「メトロファネスは忠誠によってミトリダテスの寵愛を得た。」 なぜなら要録と格言の間には次のような関係があるからである。格言は人物なしで述べられるが、要録は人物なしでは決して述べられない。それゆえもし人物を格言に付け加えるならば要録となり、もし人物を取り除くならば格言になる。