Asinus's blog

西牟田祐樹のブログです。

J.S.ミル『大学教育について』翻訳: 論理学と普遍文法

はじめに

J.S.ミル著『大学教育について』について岩波文庫でp.43-45の箇所を訳出する。ミルは古典語教育(ギリシア語とラテン語)についてその有意義性ついて述べている。その内で古代の思想と歴史を他の現代人の解釈を経ずに直接に学ぶことができるという意義を述べた後に、訳出箇所で普遍文法(universal grammar)と古典語が関連づけられる。訳出部分は論理学と文法学の用語が頻出するので必要に応じて原文を丸カッコ内で注記する。邦訳は岩波文庫の竹内一誠訳を参照した。原文は以下で読むことができる。

https://archive.org/details/inauguraladdres00millgoog/page/n102/mode/2up

https://en.wikisource.org/wiki/Inaugural_address_delivered_to_the_University_of_St._Andrews,_Feb._1st_1867

翻訳

単に言語としても、その規則的で複雑な構造ゆえにヨーロッパの言語でギリシア語とラテン語ほど生徒の知性にとって有益なものはない。しばらく文法とは何かを考えて見てみよう。文法は論理学の最も基本的な部分だ。そしてそれは思考過程の分析の初めの部分なのだ。文法の原理と規則とはそれによって言語の形式が思考の一般的形式(the universal forms of thought)に対応させられるような手段である。様々な発話(speech)部分の区別、名辞(noun)1の格の間の区別、動詞の法と時制、不変化詞(particles)の働き、それらは語においてだけではなく、思考における区別でもあるのだ。

各々の名詞と動詞は対象(object)と出来事(event)を表しており、それらの多くのものは感覚によって認識され得る。しかし名詞と動詞が結合する仕方は対象と出来事の関係を表しており、それらは知性によってのみ認識され得る。そしてそれぞれの異なる結合の仕方は[対象と出来事の]異なる関係に対応している。全ての文(sentense)の構造は論理学の学習内容だ。構文規則(syntax)の様々な規則は我々に命題(proposition)2の主語と述語を区別すること、そして行為者と行為と行為されるものを区別することを要求する。 そして以下のことを特徴付けることも要求する。それは規則はどのような時にある観念(idea)が別の観念を修飾あるいは制限あるいは単に連合しようとするのか、どのような言明(assertions)が定言的であり、どのような言明が仮言的に過ぎないのか、文意(intention, 意図)が類似性あるいは相違性を表そうとしているのか、[文意が]連言的あるいは選言的に複数の言明をなそうとしているのか、文法的にはそれ自身で完全だとしても、文の諸部分が文全体からなる言明の要素あるいは従属的諸部分に過ぎないのかどうか、ということである。 このような事柄が普遍文法の主題なのである。そのような[普遍文法の]内容を最もよく教えてくれる言語とは最も明確な規則を持ち、思考における最も多くの区別のための異なった形式を提供するような言語である。それゆえ、もし我々がそのような[思考の]区別に正確にかつ誤りなく注意を払うことを怠るならば、我々は言語において文法違反を犯すことを避けられないであろう。 このような特性において古典語は全ての現代語、そして死語であれ現用言語であれ一般に研究される価値のある文献がある全ての言語に対しての比類なき優越性があるのである。


  1. ラテン語ではnomen. 名詞と訳すこともできるが形容詞を含むものとして名辞と訳す。

  2. 文(sentense)と命題(proposition)はほぼ同義のように用いられているように思える。