Asinus's blog

西牟田祐樹のブログです。

イシドルス『語源』翻訳 II-25 ポルピュリオスの『エイサゴーゲー』について

はじめに

テキストはP.K.Marshell, Etymologies. Book II, Rhetoric with translation and commentaties, Paris, 1983. を使用した。また同書中の英訳とBerney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳も参照した。

また本箇所でイシドルスが用いたソースにはカッシオドルスの『綱要』(institutiones), 2.3.8, 18が含まれている。 以下のサイトでテキストを確認することができる。
https://www.documentacatholicaomnia.eu/03d/0484-0585,_Cassiodorus,_Institutiones_Divinarum_Saecularium_Letterarum,_LT.pdf

https://faculty.georgetown.edu/jod/inst-trans.html

翻訳

ポルピュリオスの『エイサゴーゲー』について

哲学の定義について語った後には(それにはすべての事柄が概説的に含まれていた)、 今やポリュピュリオスのエイサゴーゲーについての説明を始めよう. ギリシア語のIsagogēはラテン語ではintroductioと呼ばれる。つまり哲学を始める者に対する手引きである。エイサゴーゲーはいかなるものについてもそれが何であるかという第一の原理についての論証を含んでおり、それらは正確で本質的な定義によって言明されている。最初に類を置き、次に種と[その種に]関連しうる(quae vicina esse possunt, 隣りあいうる)他のものを付け加える(subjungimus, その下に置く)。そしてそれら[種と他のもの]を共通な特徴によって区別する。そして明確な定義によって我々が探求している事物の固有性に達するまで、種差を挿入し(interponentes, 間に置き)続ける。例えば次のものがそうである、「人間とは理性的で、可死的で、陸生で、二本足で、笑うことができる動物である。」

(Homo est animal rationale, mortale, terrenum, bipes, risu capax.)

動物(animal)が類であると言われるとき、人間の実体が言明されている。人間に対して動物は類である。しかし[類である動物は]広い範囲に及んでいるので、種「陸生」(terrenum)が付け加えられる。これで(おそらく)空を飛ぶ動物あるいは水生の動物が除外される。種差は例えば「二本足」(bipes)がそうである。これは三本以上の足によって体を支える動物を除外するために付け加えられる。同様に「理性的」(rationale)は理性を欠いている動物を除外するために付け加えられる。「可死的」(mortale)は天使を除外するために1付け加えられる。これらの区別と除外の後に固有性が付け加えられる。つまり人間だけにあるものは笑うことができること(quod ridet)である。これですべての部分で人間[とは何か]を明らかにする定義が完成した。アリストテレスキケロはこの学(哲学)における完全な定義は類と種からなると考えた。

その後にこれらのことをより詳細に教える者たちは実体の完全な定義を五つの部分に分割した。第一は類についてであり、第二は種についてであり、第三は種差についてであり、第四は固有性についてであり、第五は偶有性についてである。類は例えば「動物」がそうである。「動物」(animal)はすべての動物を含む一般的で共通な名称である。種は例えば「人間」がそうである。なぜなら種「人間」によって他の動物から区別されるからである。種差は例えば「理性的」や「可死的」がそうである。人間はこれら二つにおいて他の動物と異なっている。理性的と言われるとき、非理性的(inrationalis)で言葉を話さない動物から区別される。そのような動物は理性を持たない。「可死的」と言われる時、そのものは死ぬことがないものである天使から区別される。固有性は例えば「笑うことができる」がそうである。なぜなら人間は笑うことができる動物であり、かつ人間以外のいかなる動物もそのようなものではないからである。偶有性は例えば物体における色や魂における知識がそのようなものである。なぜならこれらは時間の変化によって生じたり変化したりするからである。よって完全な思考の言語表現はこれら五つの部分すべてから成る。次のようにである、「人間とは理性的で、可死的で、笑うことができて、善も悪もなし得る動物である。」

(Homo est animal rationale, mortale, risibile, boni malique capax.)

このようにすべての実体についての言語表現(oratio)において、[分類が]同じになる得るようなすべての [他の]事物を除外することで、明確に固有性が把握されるようになるまで、種と種差を挿入し続けなければならない。

弁論家であるヴィクトリアヌスはエイサゴーゲーをギリシア語からラテン語に翻訳した。ボエティウス は五巻本のエイサゴーゲー注解を編集した2


  1. ‘id quod non angelus'のnonを削除して訳出する。以下のようになっているテクストもある。angelos; angelus non; non angelus; angelus.

  2. Marius Victorinusによる翻訳は散逸した。ボエティウスのエイサゴーゲーに関するテキストは以下を参照.
    http://www.logicmuseum.com/wiki/Authors/Boethius/isagoge