Asinus's blog

西牟田祐樹のブログです。

イシドルス『語源』翻訳 X-1: 14-17『人間と怪異について』

はじめに

テキストはOroz Reta J. and Marcos Casquero, M.-A (eds), Etymologias: Edition Bilingüe, Madrid, 1983. を使用した。Berney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳を参照した。

前回 11-13. 前回は人間の魂についてであり、今回は人間の肉体の説明からである。

イシドルス『語源』翻訳 X-1: 11-13『人間と怪異について』 - Asinus's blog

翻訳

corpus(肉体)は崩壊した時に、消滅すること(quod corruptum perit)からそのように呼ばれる。肉体は分解可能で可死的であるので、いつかは分解されなければならない。そしてcaro(肉)は産むこと(creare)に由来してそのように呼ばれる1。なぜなら精子(crementum)は男性の子種(semen)であり、それによって動物や人間の肉体が孕まれるからである。このため両親は生みの親と呼ばれるのである。そして肉は四元素から構成されている。なぜなら肉の中には土があり、息の中には空気があり、血液の中には湿があり2、生きる熱の中には火があるからである。それゆえ我々の内では四元素はそれぞれが固有の部分を持ち3、結合が解消されるときにはそれぞれの部分にある四元素は[世界へと]還ってゆく。そして肉体と肉は異なる物事を表す4。 肉においては常に肉体があるが、常に肉体において肉がある訳ではない。なぜなら生きている肉は肉体と同じである5。生きていない肉体は肉ではない。それゆえ、肉体は[この世の]生の後で、死んでいると言われるか、あるいは生まれる前で、形作られていると言われる。時には草や木のように生きているときには体(corpus)6ではあるが、肉ではない。


  1. corpusは身体と訳すことも可能である。

  2. ここだけ通常用いられる四元素である水ではなく湿となっている。

  3. 前文にあるような身体の空間的・機能的な部分。

  4. 以下のcorpusとcarnoの区別を理解するためには、キリスト教の死後の体を伴う復活を考慮に入れる必要がある(以下、新約聖書翻訳委員会訳)。
    『第一コリント』15:40
    「そして天的なからだがあり、地上のからだがある。」
    15:44 「自然的なからだが蒔かれ、霊的なからだとして起こされる。」
    『ルカ福音書』24:36-43, 『ヨハネ福音書』 20:19-28.

  5. 生きていない肉は肉体と呼べるかどうかわからない。「肉は常に肉体であるが」と訳すことは避けておく。

  6. 動物以外の生物の場合。ここのみ「有機体」を参考に「体」と訳した。