Asinus's blog

西牟田祐樹のブログです。

アナピアスとアンフィノムス

福沢諭吉の子供向けの本『童蒙をしへ草』は、チェンバース(William Chambers and Robert Chambers)のThe Moral Class-book (1839)の翻訳であり1イソップ寓話を含め、西洋古典の話も含まれている。その中で、第二章(ロ)には、親を大切にする若者の話として、アナピアスとアンフィノムス(Anaphias and Amphinomus)の逸話が取り上げられている。この話は聞いたことがなかったので、その逸話の出どころについて調べてみた。残念ながらチェンバースが依拠した資料と伝承経路については調べがつかなかったが、ギリシア・ローマ時代の著作の中に、そのいくつかの出どころは見つかった。

その逸話とは以下のような話である2

アナピアスとアンフィノムス

火山とは頂上が窪んでいて、そこから煙や、炎や、岩石や、溶岩が、時に非常な激しさで吹き出すような山のことです。シチリアのエトナ山は、ヨーロッパで最も有名な火山です。何百年も前、いつになく激しい噴火が、この山に起きました。燃え盛る噴火物が、さまざまな方向に降り注ぎ、村全体を打ちこわし、空気は噴石と灰に覆われました。近隣の国の住民は、最も価値のある財産を持って、命を守るために避難しました。そのような自分の財産をたいそう気にする人々の中に、彼らとはたいそう異なる種類の重荷を背負った、アナピアスとアンフィノムスという二人の若者がおりました。彼らは年老いた両親のみを背負っていました。両親を他の仕方では守れなかったのです。

この若者たちの行いは、たいへんな賞賛を引き起こしました。彼らはたまたま、周りは焼け焦げ真っ黒となっているのに、彼らの選んだ道は噴火物が落ちてこず、噴火後も緑のままでした。ひどく無知であるが良い心を持った人たちは、若者たちの善い心のために、奇跡によってこの野原は守られたのだと信じていました。そして、この道は以降、孝行の野と呼ばれていました。

福沢諭吉の翻訳と原文との重要な異同は特にない。

ギリシア・ローマでの情報源

この話は今ではマイナーだが、当時有名だったようで複数の文献に現れていた。このエトナ山の噴火とはBC.122の大噴火のことである。以下、順不同で紹介する3

パウサニアス『ギリシア案内記』10.28.4

カロンの船のちょうど真下に当たるアケロンの川岸に親不孝者の男がいて、父親に喉首を締めつけられている。昔の人たちは両親をとても大切にしたものであって、いろいろと事例はあるが、とくにカタナ市のいわゆる「エウセベイス(敬虔な者たち)」に照らして明らかである。すなわち、アイトナ(エトナ)山の火と燃える溶岩がカタナの町に向かって流れ出したとき、彼ら兄弟は金銀にはまったく目もくれずに、ひとりは母親を、もうひとりは父親を担いで逃げようとした。だが、彼らの逃げ足は難儀で遅く、火炎を噴く溶岩は迫ってあわや彼らを一呑みという勢いであった。それでも彼らは両親を投げ出さなかったので、伝承によれば、溶岩の流れが二股に分かれて、彼ら若者たちにも、その両親にも痛い目ひとつ遭わせることなく脇を通り過ぎて行ってしまったという。

ストラボン『地誌』6.2.3

この地[カタナイア]の、アンピノモスとアナピアの敬虔についての話が、何度も語られてきた。彼らは両親を肩に背負って運び、迫り来る死から救ったのである。

ウァレリウス・マクシムス『著名者言行録』5.4.ext.4

さらに有名なのは、クレオスとビトンの兄弟と、アンピノモスとアナピアスの兄弟である。前者はユノ女神の祭礼に参加するために、母親を[自分たちで]運んだ4。後者は火の中を、父と母を肩に担いで運んだ。だがアンピノモスとアナピアスのどちらも、両親の命のために死ぬことはなかったと言い伝えられている。

逸名著者の詩『アエトナ』5

Two noble sons, Amphinomus and his brother, gallantly facing an equal task, when fire now roared in homes hard by, saw how their lame father and their mother had sunk down (alas!) in the weariness of age upon the threshold.​ Forbear, ye avaricious throng, to lift the spoils ye love! For them a mother and a father are the only wealth: this is the spoil they will snatch from the burning. They hasten to escape through the heart of the fire, which grants safe-conduct unasked. O sense of loving duty, greatest of all goods, justly deemed the surest salvation for man among the virtues! The flames held it shame to touch those duteous youths and retired wherever they turned their steps. Blessed is that day: guiltless is that land. Cruel burnings reign to right and left. Flames slant aside as Amphinomus rushes among them and with him his brother in triumph: both hold out safely under the burden which affection laid on them. There — round the couple — the greedy fire restrains itself. Unhurt they go free at last, taking with them their gods in safety. To them the lays of bards do homage: to them under an illustrious name has Ditis allotted a place apart. No mean destiny touches the sacred youths: their lot is a dwelling free from care, and the rightful rewards of the faithful.

この話は古代のコインにも刻まれている。

Herennia coins - ANCIENT ROMAN COIN - OFFICIAL WEBSITE

The Moral-Class Bookの記述に一番近いのはパウサニアスの記述である。ただし、パウサニアスの記述では、兄弟の名前は書かれていない。ストラボンの記述には、兄弟が無事だったという記述が含まれていない。

参考文献

現代語訳 童蒙おしえ草 ひびのおしえ、福沢諭吉著 岩崎弘訳、角川文庫、2006.

ギリシア案内記(下)、パウサニウス著 馬場恵二訳、岩波書店、1992.

The moral class-book : Chambers, W : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive

童蒙をしへ草. 初編. 一 | 慶應義塾大学メディアセンター デジタルコレクションDigital Collections of Keio University Libraries

Strabo, Geography, Book 6, chapter 2, section 3

Strabo, Geography, Book 6, chapter 2, section 3

Collections Online | British Museum

LacusCurtius • Aetna

Valerius Maximus, Facta et Dicta Memorabilia, LIBER QVINTVS, chapter 4(ext), section 4

Herodotus, The Histories, Book 1, chapter 31


  1. 単なる翻訳ではなく、パラフレーズ等内容の変更も行なわれている。
  2. 折角なので比較のために、福沢諭吉の翻訳ではなく、チェンバースのテキストから翻訳した拙訳を載せる。原文は参考文献のものを使用した。
  3. パウサニアスは岩波の馬場恵二訳 (下巻, p.281)。ストラボンとウァレリウス・マクシムスの訳は拙訳。原文は参考文献のものを使用した。
  4. ヘロドトス『歴史』1.31.
  5. Minor Latin Poets vol. 1, Loeb Classical Library, 1934, pp. 351‑419の訳を載せる。以下の注釈62が非常に参考になった。
    "Claudian, Carmina Minora, XVII (L), has an elegiac poem on the statues of the two brothers, Amphinomus and Anapius at Catina now Catania. For allusions to their pietas cf. Strabo, VI.2.3 (C. 269), who calls the second brother Anapias; Sen. Benef. III.37.2; Martial, VII.24.5; Sil. Ital. XIV.197. Hyginus, Fab. 254, gives them different names. Their heads appear on both Sicilian and Roman coins, e.g. Head, Hist. Num. 117; Brit. Mus. Cat."

イシドルス『語源』翻訳 IX. 6. 1-6『島について』(イギリス、アイルランド)

はじめに

テキストはOroz Reta J. and Marcos Casquero, M.-A (eds), Etymologias: Edition Bilingüe, Madrid, 1983. を使用した。Berney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳を参照した。Oroz Reta J. and Marcos Casqueroの西訳とIsidoro di Siviglia, Etimologie o origini, primo volume, a cura di Angelo Calastro Canale, UTET, 2004.の伊訳も参照した。

プリニウス『博物誌』にもこの箇所の島についての記述がある。

Pliny the Elder, The Natural History, BOOK IV. AN ACCOUNT OF COUNTRIES, NATIONS, SEAS, TOWNS, HAVENS, MOUNTAINS, RIVERS, DISTANCES, AND PEOPLES WHO NOW EXIST OR FORMERLY EXISTED., CHAP. 30. (16.)—BRITANNIA.

Pliny the Elder, The Natural History, BOOK II. AN ACCOUNT OF THE WORLD AND THE ELEMENTS., CHAP. 77. (75.)—WHERE THE DAYS ARE THE LONGEST AND WHERE THE SHORTEST.

島などの現代名は括弧で表記した。

内容が理解しやすいよう適宜改行を行なった。

翻訳

島(insula)は海にある(in salo)ことに由来してそのように呼ばれる1。その中でも、多くの昔の人々が巧みに熱意を持って探究した、非常に有名で重要な島々は注目されるべきである。

ブリタニア(イギリス)は間にある海によって、全大陸から切り離された島である。ブリタニアという名前はその[住んでいる]民族の名前2から取られた。この島はガリア(フランス)に向かい合って、ヒスパニア(スペイン)の方を向いて位置している。その周囲は4875マイルである。この島には多くの大きな川や温泉があり、豊富で様々な大量の鉱物がある。ここは褐炭と真珠に満ちている。

タナトス島(Tanatos isnula, サネット島)は、狭い入江によってブリタニアから隔てられている、ガリア海峡(ドーバー海峡)にある海の島である。この島には穀物のための平地や肥沃な土壌がある。そしてタナトスという名前は蛇の死に因んでそのように呼ばれる3。それは、この土地には蛇はいないのだが、ここ土がどんな土地に運ばれたとしても、直ちに[運び込まれた土地の]蛇の命を奪うからである。

最果てのトゥーレ(Thyle ultima, Θούλη)とはブリタニアを超えた北西の地帯の内にある海の島である。sol(太陽)に由来してそのような名前なのである4。それはこの島では、太陽は夏至をなし、この島を超えるといかなる日の光もないからである5。それゆえ、この島を取り巻く海は動きがなく、凍っているのである。

オークニー諸島(Orcades)はブリタニアの中に位置する、海にある33の島々である。その内の20の島々は無人島であり、13の島々は人が住んでいる。

ヒベルニアとも呼ばれるスコティア(アイルランド)はブリタニアの隣の島であり、土地の広さではブリタニアより狭いが、位置のおかげでより肥沃である。この島は北西から北へと伸びている。 より先の部分6イベリア半島カンタブリア7へと伸びている。それゆえにヒベルニアと呼ばれる8。スコティア(Scotia)はスコット人(Scoti)が移住したことからそのように呼ばれる9。この島にはヘビは全くおらず、鳥はほとんどおらず、蜂はまったくいない10。それゆえ、もし誰かがこの土地から持ってきた塵や小石を他の土地の蜜蜂の巣へばら撒くならば、蜜蜂の群れは巣を捨てるだろう。


  1. この語源説明*en-sal-o- ‘what is in the salt(y)’ > ‘in the sea’ > ‘island’ は音声に限れば理論的には可能である。語源は不明で、何らかの言語からの借用語かもしれない (Etymological Dictionary of Latin, p. 306)。

  2. ブリトン人のこと。

  3. θάνατος (タナトス): 死.

  4. トゥーレの語源は説明されず、ultima(最果ての)の方が説明されている (Canale, II p.204)。

  5. Barney et al. 注7, p.294.
    “The sense is, or should be, that the term Ultima, "farthest,” describes the limit of hte sun’s reach at the Arctic Circle at hte winter solstice; Thyle is dark all winter."

  6. 大陸側から見てより先ということ。地図では南端に当たる。

  7. カンタブリア海 - Wikipedia

  8. HiberniaをHiberiaとの語呂合わせで説明している。

  9. Barney et al. 注8, p.294
    “In early medieval writings the inhabitants of Ireland were called Scotti, and those of Scotland called Picts - but cf. IX. ii. 103.”

  10. ギラルドゥス・カンブレンシスは『アイルランド地誌』1.3でイシドルスの記述の誤りを指摘している。(有光秀行 訳)
    「この島は緑地・牧草地、蜜と乳、ワインにあふれているが、ブドウ畑についてはそうではない。しかし、ベーダは、いろいろこの島のことを褒めている中で、ここにブドウ畑があると述べている。またソリヌスとイシドルスはミツバチがいないという。しかし、三人が許してくれたらと思って言うのだが、彼らはもっとよく観察していたら逆に書いたであろう。つまり、アイルランドにはブドウ畑はないが、ミツバチはいる。」

イシドルス『語源』翻訳 III. 28-38『天文学の理論について』『宇宙とその名称について』ほか

はじめに

テキストはOroz Reta J. and Marcos Casquero, M.-A (eds), Etymologias: Edition Bilingüe, Madrid, 1983. を使用した。Berney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳を参照した。Oroz Reta J. and Marcos Casqueroの西訳とIsidoro di Siviglia, Etimologie o origini, primo volume, a cura di Angelo Calastro Canale, UTET, 2004.の伊訳も参照した。

内容が理解しやすいよう適宜改行を行なった。

翻訳

28.『天文学の理論について』

天文学の理論は非常に多くの種類[の問題]からなる。つまり、天文学の理論は次のことを定める。宇宙とは何であるか、天とは何であるか、天球の位置と運行とは何であるか、天と極の軸とは何であるか、天の地帯とは何であるか、太陽と月と星の運行とは何であるか、等々である。

29. 『宇宙とその名称について』

宇宙(mundus)とは天と地と海と星の全体からなるものである。この総体が宇宙と呼ばれるのは常に動いている(motus)からである。なぜならこれら宇宙の構成要素にはいかなる休息も許されてはいないからである。

30. 『宇宙の形について』

宇宙の形は以下のように記述される。宇宙は北の地帯が高くなっている分、南の地帯が低くなっている。いわば、宇宙の頭と顔であるのは東の地帯であり1、最も高い(ultimus)のが北の地帯である。

31. 『天とその名称について』

哲学者たちは天(caelum)とは球形で2回転し、輝くものであると言っている。そして、caelumという名前で呼ばれるのは、あたかも彫刻された(caelatum)容器のように、星の刻印があるからである。つまり、神は天を、輝く光によって装飾し、 太陽と月の輝きによって満たし、煌めく星からなる輝く星座で飾ったのであった。

caelumギリシア語ではὁρᾶσθαι、つまり、見ることに由来してοὐρανός(ウラノス)と呼ばれる。なぜなら、大気は見通すことができるほどに透明であり、非常に澄んでいるからである。

32. 『天球の位置について』

天球は円形をしている。その中心にある地球はすべての方向で等しく限定されている。天球には始点も終点もないと言われている。なぜなら円のように円形であるので、どこから始まりどこで終わるかということは、簡単には把握されないからである。

哲学者たちは宇宙にある七つの天3、つまり調和した運動をなす惑星を導入した。そして彼らはすべての運動がこれら惑星の軌道と結び付いていると述べている。これらの軌道は互いに結びついており、あたかも互いに挿入されているようであると彼らは考える。また、逆向きに回り、他の天球に対する反対方向の運動によって動かされていると考えている。

33.『天球の運動について』

天球の運動は二つの極(axis)の周りで起こる4。一方は北極である。この極は決して沈まず、ボレウス5と呼ばれる。他方は南極である。この極は決して見ることができず6、アウストロノティウスと呼ばれる。これら二つの極の周りで天球は運動するのだと言われている。そしてこの運動に伴い、天球に固定された星々は東から西へ円運動し、極に隣接する北側の運行においては、より短い円運動をなすと言われている。

34.『天球の運行について』

天球は東から西へ昼夜24時間の間に一回の回転をする。この期間内に太陽は自分も回転しながら、大地(地球)の上と下への運行を終わらせるのである。

35. 『天の速さについて』

天球は非常に速く運行するので、この急激な運行と反対方向に、運行を遅らせる星々が動いていなかったとしたら、宇宙は崩壊していただろう。

36. 『天の軸について』

軸(axis)とは天球の中央を貫いて伸びている直線のことである。axis(軸、車軸)と呼ばれるのは球がそれに沿って車輪のように回転するから、あるいは大熊座(plaustrum, 荷車)がそこにあるからである。

37. 『天の極について』

極(polus)とは軸の周りを動いている円のことである。その一方は北極である。この極は決して沈まず、ボレウスと呼ばれる。他方は南極である。この極は決して見ることができず、アウストロノティウスと呼ばれる。そして、polusと呼ばれるのは、荷車の用法でいう軸の周りの円であるからである。polusはpolire(磨くこと)に由来してそのように呼ばれる7。ボレウスは常に見える一方で、アウストロノティウスは決して見えない。これは天の右側8の方がより高く、南側が押さえつけられているからである。

38. 『天の蝶番について』

天の蝶番(cardo)とは軸の両端のことである。cardoと呼ばれるのはこれの周りで天が回転する、あるいは蝶番が心臓(cor)のように回転するからである。


  1. ウェルギリウス『農耕詩』1. 240. (小川正廣 訳)
    「天球は、スキュティアとリパエイの峰々に向かって険しく昇っていき、南のリュビアの土地のほうに低く傾いて沈んでいる。」

  2. cf. アリストレス『天について』286b10 (池田康男 訳)。
    「また、天は球形でなければならない。なぜなら、これは天の本質に最もふさわしい形で、本性上、第一の形だからである。」

  3. 水星、金星、火星、木星土星、太陽、月の七つ。

  4. axisは基本的に軸と訳しているが、ここは文脈上の意味やIII-37との整合性を考慮して極と訳すことにする。III-37の説明はここでの説明と部分的に同一であるにも関わらず、polus(極)が主題になっている。

  5. ギリシア語のボレアス(Βορέας)は北風(の神)を意味する。ローマ神話では南風(の神)はアウステル。

  6. ウェルギリウス『農耕詩』1. 243. (小川正廣 訳, 括弧は記事作者による)
    「こちら側の天極(北極)はつねにわれらの頭上にあるが、あちらの極(南極)は、われらの足下で、暗欝なステュクス川と深淵の死霊たちが眺めている。」

  7. ラテン語のpolusはギリシア語のπόλος(軸、極)に由来する。πόλοςはπέλω (become)の語根と関連する (Canale, p.322)。
    ここでpolusがpolireと関連づけられている理由はよくわからない。

  8. 北側のこと。天球上を周る太陽から見ると、北は右であり、南は左である。

イシドルス『語源』翻訳 III. 24-27 『天文学という名称について』『天文学の創始者について』『天文学の創設者について』『天文学と占星術の相違について』

はじめに

テキストはOroz Reta J. and Marcos Casquero, M.-A (eds), Etymologias: Edition Bilingüe, Madrid, 1983. を使用した。Berney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳を参照した。Oroz Reta J. and Marcos Casqueroの西訳とIsidoro di Siviglia, Etimologie o origini, primo volume, a cura di Angelo Calastro Canale, UTET, 2004.の伊訳も参照した。

日本語訳には以下のものがある。

ヘルモゲネスを探して : イシドロス『語彙集』抄

内容が理解しやすいよう適宜改行を行なった。

翻訳

24. 『天文学という名称について』

天文学とは星に関する法則[についての学科]である1。この学科は理性による探究によって、それ自体に関してと大地との関連での、天体の運行と星の形状と位置を概観するのである。

25. 『天文学創始者について』

最初にエジプト人天文学を創始した。一方でカルデア人が初めて天文学や、誕生時の天球の配置に関する観察について教えた。歴史家であるヨセフスはアブラハムエジプト人天文学を教えたのだと言っている2ギリシア人はアトラス3が初めて考案したのだと言っている。そのことから[アトラスが]天球を支えていたと言われているのである。創始者が誰であったとしても、その者は、季節の交代、一定で限定された星の運行、[天体]相互の定まった距離[についての観察]を通じて、天における運動と魂における理性に駆り立てられ、何らかの測定と数について考察したのである。定義し、区分することでそれらを秩序づけた者が天文学を考案したのである。

26. 『天文学の創設者について』

[ギリシア語とラテン語の]両方の言語で、天文学についての様々な書物が書かれている。その中でもとりわけ、ギリシア人はアレクサンドレイアのプトレマイオス王が卓越していると考えている4。彼は王名表をも制定した。この王名表によって天体の運行を知ることができる。

27. 『天文学占星術の相違について』

天文学(Astronomia)と占星術(Astrologia)の間には相違が存在する。天文学には、天の回転、上昇、下降と天体の運動についてが含まれている。それゆえastronomiaと呼ばれているのである5

占星術の一部は自然に関するものであり、一部は迷信的なものである。[占星術が]自然に関するものであるのは太陽や月の運行や、周期的な星の配置について論じる限りである。迷信的であるのは星によって予言しようとする占星術師が[その術に]従うときである。さらに、各々の魂あるいは身体の部分に対して十二宮を割り当て、星の運行によって、人間の誕生や気質を予言しようとする時もそうである。


  1. イシドルス『語源』翻訳 I-1,2『学芸と技術について』『自由七科について』 - Asinus's blog

  2. ヨセフス『ユダヤ古代史』(秦剛平訳、括弧は記事作者がつけた)
    「[アブラハムは]彼ら(エジプト人)に算術をすすんで教え、また天文学を伝えた。エジプト人は、アブラハムが来るまではこれらの学問を知らなかったのである。こうしてこれらの学問はカルデヤ人のもとからエジプトへ入り、そこからギリシア人に伝わったのである。」

  3. ギリシア神話でティタン神族の一人。ティタノマキアでオリュンポス神族に敗れ、ゼウスから罰として極西の地で天空を支える役目を科せられた。

  4. Berney et al. 注25 (p.99)
    “Isidore is confusing Claudius Ptolemy (second century CE) with the Ptolemys who ruled Egypt.”

  5. ἀστρονομία: ἄστρον(星) + νόμος (法則).

イシドルス『語源』翻訳 VI. 5-7 『初めてローマに書物をもたらした者について』『我々の間で図書館を設立した者について』『誰が多くの著作を物したか』

はじめに テキストはOroz Reta J. and Marcos Casquero, M.-A (eds), Etymologias: Edition Bilingüe, Madrid, 1983. を使用した。Berney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳を参照した。Oroz Reta J. and Marcos Casqueroの西訳とIsidoro di Siviglia, Etimologie o origini, primo volume, a cura di Angelo Calastro Canale, UTET, 2004.の伊訳も参照した。

歴史的な内容についてはThe Oxford Classical Dictionary, 4th editionと西洋古典学事典を参照した。

脚注は不完全であり、改定予定である。

翻訳

5.『初めてローマに書物をもたらした者について』

アエミリウス・パウル1マケドニア王国のペルセウスを打ち破った時に初めて大量の書物をローマにもたらした2。次いでルクッルス3がポントスから戦利品として書物をもたらした4。その後にカエサルがウァッロ5に最大の図書館を建設するという任務を与えた。ポッリオが初めてローマにギリシア語著作とラテン語著作の両方の図書館を公共開放した6。その広間には著者たちの彫像が置かれていた。彼はこの図書館を戦利品で得た利益によって、この上なく豪華に建てた。

6. 『我々の間で図書館を設立した者について』

我々[キリスト教徒]の間では殉教者パンフィルス7も図書館を設立した。彼の生涯についてはカエサリアのエウセビオスが記録した8。パンフィルスが初めて、ペイシストラトスに匹敵するほどに、聖なる図書館に対して熱意を注いだ。 それは彼の図書館には約三万巻の書物があったからである。

そして、ヒエロニムスとゲンナディウス9は計画的に世界中で探し回り、聖なる著作家の書物を収集した。彼らの調査の結果は一巻の目録にまとめられている。

7.『誰が多くの著作を物したか』

ラテン語圏ではマルクス・テレンティウス・ウァッロが数え切れないほどの著作を物した10

ギリシア語圏ではカルケンテロス11が非常に賞賛されている。なぜなら彼は非常に多くの著作を物したので、我々の誰もが自分の手で[彼の全著作を]書き写すことがほとんど不可能なほどなのである。

ギリシア語圏の我々キリスト教徒については、オリゲネスがギリシア語著者だけではなくラテン語著者たちをも、著作数で上回っている。ヒエロニムスは彼の著作を六千巻読んだと証言している。

アウグスティヌスは才能あるいは学識によって、これらすべての著作家たちの成果を上回っていた。彼が物した著作は非常に多いので、誰も、幾昼夜かけても彼の著作を書き写しきることができないだけでなく、読み切ることすらできないのである。


  1. Lucius Aemilius Paullus Macedonicus (228?-160bc).

  2. ピュドナの戦い(168bc)での勝利のこと。

  3. Lucius Licinius Lucullus (117?-56bc).

  4. ミトリダテス6世との戦争のこと。

  5. Marcus Terentius Varro (116-27bc).

  6. Gaius Asinius Pollio (76bc-4/5ad).

  7. エウセビオスの師。

  8. 史料翻訳:カエサレアのエウセビオス著 『パレスチナ殉教録』
    https://researchmap.jp/multidatabases/multidatabase_contents/download/229794/fd13537b03614b98a494984928e80a8f/2444?col_no=2&frame_id=519284

  9. Gennadius Massiliensis (Gennadius of Massilia). De Viris IIIustiribus(著名者列伝)の著者。ヒエロニムスとイシドルスにも同名の著書がある。

  10. 彼が78歳になったときには490巻の書物を著していたと伝えられる(Gell. 3.10.17)。

  11. Didymos Chalkenteros. アレクサンドリアの文献学者。その勤勉さゆえにKhalkenteros(χαλκέντερος, 青銅のはらわたを持つ男)と渾名された。

もうひとつの自然演繹: Jaśkowski, Theory of deduction based on the method of suppositionを読む

Jaśkowskiの自然演繹についての概要

  • 自然演繹といえばゲンツェンがシーケント計算と共に考案したことで有名だが、ちょうど同年の1934年にヤスコフスキ(Jaśkowski)も自然演繹についての論文を発表した。
  • ゲンツェン流とヤスコフスキ流の大きな違いは、ゲンツェン流では証明はtreeであるのに対して、ヤスコフスキ流の証明はlinearである。
  • また、ゲンツェンは論理結合子に関する推論規則を導入規則と除去規則の二種類に分けたが、ヤスコウスキはそのような概念については述べていない。
  • 現在では通常ゲンツェン流の自然演繹が読みやすさゆえに用いられているが、Prawitz(1965)以前はヤスコフスキ流の自然演繹の別バリエーションがよく用いられていた。その中でもFitchの自然演繹(1952)が特に有名である。
  • 近年Fitch styleは様相論理や様相ラムダ計算との関連で新たに注目を浴び、有用性が再認識されている。例えばClouston (2018)を参照。

Jaśkowskiのテキストについて

  • 以下情報は主にHazen&Pelletier(2014)による。
  • 最初に発表されたのはFirst Polish Mathmatical Congress, Lvov, 1927だった。
  • その出版されたproceedings, 1929にはタイトルしか記載がなかった。
  • ヤスコフスキは証明の二つの表記法を考案しているが、この時の表記法は1934年の論文の注で説明されている。
  • 1934年に論文 "The theory of deduction based on the method of suppositions"を発表した。
  • これ以降にヤスコフスキ自身による自然演繹の論文は発表されていない。 それゆえヤスコフスキ自身の考えを知ることができるのは1934年の論文からだけである。

論文解説

以下では論理式の記法はポーランド記法ではなく中置記法で書くことにする。

推論規則

論文内で説明される推論規則を先に説明しておく。ゲンツェン流の規則との対応を書くと以下の通り。

Rule I: 仮定[の導入]に対応

Rule II: 含意の導入規則に対応

Rule III: 含意の除去規則に対応

Rule IV: RAAに対応する。

これはルカシェビッチの公理  (\neg p\Rightarrow p)\Rightarrow p と対応している。ORłowska(1975)によるとŁukasiewicz(1929)で用いられている公理である。

Rule IVa: 否定の導入規則に対応

これはルカシェビッチの公理  p\Rightarrow(\neg p\Rightarrow q) と対応している。

Rule V: 二階全称量化の除去に対応

Rule VI: 二階全称量化の導入に対応

Rule Va: 一階全称量化の除去規則に対応

Rule VIa: 一階全称量化の導入規則に対応

Section 1: 論文のアイデアと目的及び導入的説明

この論文の背後にあるアイデアはルカシェヴッチが講義で語っていた次のような考えである。

In 1926 Prof. J. Ł u k a s i e w i c z called attention to the fact that mathematicians in their proofs do not appeal to the theses of the theory of deduction, but make use of other methods of reasoning. The chief means employed in their method ist that of an arbitrary supposition.

このようなアイデアはGentzen(1935)5.11.でも語られている。

実際の推論に十分に適合していること、そのことを我々は出発点としている。それゆえこのような計算体系は特に数学者の証明を形式化するのに適している。

論文のタイトル通り、ヤスコフスキの提示した体系はSupposition(仮定)というアイデアに基づいている。これはゲンツェンの体系でいう含意や選言の規則に現れる角括弧 [A_1]の部分に相当する。

この論文の目的はウカシェヴィッチのアイデアを形式化し、ウカシェヴィッチの次の問題に答えを与えることである。

The problem raised by Mr. Ł u k a s i e w i c z was to put these methods unter the form of structural rules and to analyze their relation to the theory of deduction. The present paper contains the solution of that problem.

この論文は技術的なものであり、新しい体系やその推論規則に対する思想的な内容については述べられていない。この点はアイデアについても説明したゲンツェンとは異なる。

直観主義論理と古典論理のどちらかのみを用いるといった態度でもない。

上述の論文の目的の説明の後、まずはインフォーマルにSuppositionについて説明している。そして彼の自然演繹の表記法について説明される。仮定と導出された論理式全体のなす集合(クラス)はdomainと呼ばれる。これは導出の各段階ごとに定まる(増大する)。説明される各推論規則については後ろにまとめておく。sec.1ではRule I - IVが説明されている。Rule I-IIIは命題論理の含意の部分体系である。ここで他に否定の規則が説明されていないにも関わらず、reductio ad absurdum (RAA)が扱われているのは奇妙に思えるが、ヤスコフスキは注3で、1927年の記法で含意とRAAを用いた証明の例を書いている。なのでこの例の説明としてはRAAを説明しておく必要があるからここで扱われたのだろう。仮定の中に否定を含む論理式が現れている。

Rule I - IVからなる体系tdの証明の例が二つ挙げられている。一つ目の証明の後では結論は否定記号を含まないが、途中のRAA規則において否定を含む論理式が用いられていることに言及している。RAAがsubformula propertyを損ねる事実に適切にも注意を与えている。RAAを含むのでこの体系は古典論理である。二つ目の演繹では仮定がすべては閉じられていないような例である。domainから得られる公理的体系(system)を考えた時、composite systemとは仮定がすべては閉じられていないようなdomainに相当するものであり、simple systemとはすべて閉じられているdomainに相当する。

Section 2: ウカシェヴィッチの公理系TDの場合

この章から論文の目的であった証明能力の同等性を示す作業が行われる。

ウカシェヴィッチの公理系 TDと自然演繹体系td について、表記の簡略化のためにそれぞれの体系での定理も同じ記号で書かれる。以下定理については、内容が相違しない範囲で表現を変えて述べることにする。

TD1:  (p\to q)\to ( (q\to r)\to (p\to r) )

TD2:  (\neg p\to p)\to p

TD3:  p\to (\neg p \to q)

定理1 TDでの任意の定理に対し、その定理はtdで証明可能である。

TD1-3はsec.1で例として証明されている。TD1-3を対応する演繹に置き換え、TDで用いられるmodus ponensの代わりにRule IIIを適用していけば良い。

tdは仮定1行のみの演繹が考えられるので、逆を言うためには適切な制限を加える必要がある。このような仮定のみを定理と呼ぶのは現代の用語法ではないが、ヤスコフスキではそう呼ばれている。development (containing a formula A) という用語が導入されるが、これは条件化によってすべての仮定が閉じられた(Aを含む)論理式を表す。

定理2 tdの任意の定理に対し、その定理のdevelopmentはTDで証明可能である。

この定理の証明には意味論が用いられている。真理値モデルに関するTDの完全性定理が使われる。ここではtdの真理値モデルに関する健全性定理が示され、この完全性定理と組み合わされることが定理が証明される。

"It is known that , for any expression satisfying the method of verification through substitution of the values 1 and 0 for variables, we can obtain an equiform thesis TD"

Section 3: Incomplete systemの場合

Hilbert(1922)のpositive logicとそれに同値であるFrege(1922)の体系がPTD(Positive Theory of Deduction)として扱われる。この章の特徴は論理体系の証明能力が弱い分、自然演繹の定理が公理的体系でも(developmentが)定理になるということの証明に意味論が使われず、構文論的に証明されていることである。このためにpositive logicの章を論文に含めたのかもしれない。

PTD1:  p\to(q\to r)

PTD2:  (p\to (q\to r))\to (  (p\to q)\to (p\to r)  )

定理3 PTDでの任意の定理に対し、その定理はptdで証明可能である。 証明例としてPTD1とPTD2が自然演繹で証明されている。これより従う。

定理4 ptdの任意の定理に対し、その定理のdevelopmentはPTDで証明可能である。

ptdにおける証明の長さに関する帰納法。あらかじめ証明に用いるPTDでの定理が I_k, II_k, III_kとして最初の部分で証明されている。推論規則ごとに場合分けし、 I_k, II_k, III_kを用いていく。

ptdの後でRule I-III + IVa, つまり含意断片と否定の導入規則の体系がitdとして扱われる。これはKolmogoroff(1925)の体系と対応する。これは直観主義論理である。

ITD1:  p\to(q\to p)

ITD2:  (p\to (q\to r))\to (  (p\to q)\to (p\to r)  )

ITD3:  (p\to q)\to (  (p\to\neg q)\to \neg p  )

定理5 ITDでの任意の定理に対し、その定理はitdで証明可能である。

定理6 itdの任意の定理に対し、その定理のdevelopmentはITDで証明可能である。

証明方針はptdの場合と同様。ITDPTDを含んでいるので、否定についてだけ示せば十分。

Section 4: 二階論理の場合

二階論理の場合の証明能力の同値性の証明は証明方針はsec2と同様であるが、完全性を示すのが難しい。Henkin(1950)がヘンキンモデルを用いて完全性定理を示した。実際に第三章までしか同値性に関する定理は述べられていない。この章では自然演繹体系の定義の後に、証明の具体例を提示しただけで終わる。"The needed proofs are analogous to those of the theorems 1 and 2"とopen problemであることが述べられる。ただしこの章では公理論的体系の公理は述べられていない。

Section5: 一階述語論理の場合

ここではPrincipia MathematicaとHilbertが参照されている。この章でも公理論的体系の公理は述べられていない。自然演繹の定義の後、証明の例を述べて終わる。

推論規則はどのように選ぶのか?

論文内では含意と否定と一階と二階の全称量化の論理結合子しか扱われていないが、これらだけに限定されないことは次のように説明されている。

The rules of the composite systems can be applied to different logical or mathematical systems. In such cases, it can happen that new rules may be required. For instance, it we want to build the composite system of the theory of deduction having besides "C" and "N" the new constant term of conjunction (logical product), it is sufficient to give three new rules. The first would permit us to subjoin to a domain a conjunction composed of propositions equiform with some propositions valid in that domain, and the others would allow to subjoin a proposition equiform with the first and a proposition equiform with the second member of a valid conjunction.

この説明での連言の規則は(導入規則や除去規則と呼ばれないこと以外は)Gentzenのものと一致する。これは公理的論理体系から得られた規則であると推測できる。

例えばHilbert&Ackermann(1959)ではFormula (12)  X\land Y\to X, Formula (13)  X\land Y\to Y, formula (18)  X\to(Y\to X\land Y)である。 連言に限らず一般に、推論規則の発見の仕方としては、公理論的体系の公理あるいは定理の前件を自然演繹規則の前提とし、後件を結論とすることで得られる。

どのような論理結合子(あるいはその推論規則)が許容されるべきか、あるいは選択されるべきかについてこの論文から何か言えるだろうか?

この論文の目的が証明能力の同等性を示すことだということを考慮に入れるならば、この論文からは特別なヤスコフスキの論理学的・哲学的な立場は読み取ることができない。他の公理系を参照して、その公理系と証明能力において同等となるような推論規則が選択されている。ただしこの論文での様々な体系を分け隔てなく提示するスタイルはWolenski(1989)の次のような説明とよく合致している (p. 191)。

In general (except for Leśniewski) opinions in the sphere of the philosophy of logic and mathematics were treated in the Warsaw School as 'private' problems, which did not, or at least should not, have any influence upon logical research, except, of cource, for the heuristic issues. But all philosophically motivated logical construction (e.g. the theory of truth and many-valued logics) was treated primarily as logical and as such it had to meet formal, and not philosophical, criteria.

ヤスコフスキの論理結合子や推論規則の扱いは、論理学的な結果を追求していくという目的のためには非常にバランスの取れたものであった。しかし、ゲンツェンのように論理結合子や推論規則に対するアイデアを提示しなかったことで、自然演繹の整備とともにヤスコフスキの論文の内容は古くなり、読まれることがなくなってしまった。

参考文献

Jaśkowski, On the Rules of Suppositions in Formal Logic, Studia Logica 1, pp. 5–32, 1934.

Gentzen, Untersuchungen über das logische Schließen I, Mathematische Zeitschrift 39 (2), pp. 176-210, 1934.

Wolenski, Logic and philosophy in the Lvov-Warsaw school, Kluwer academic publishers, 1989.

Hilbert and Ackermann, Grundzüge der theoretischen Logik, Springer, 1959.

Orłowska, On the Jaśkowski's method of suppositions, Studia Logica, 34 (2), pp. 187-200, 1975.

Hazen and Pelletier, Gentzen and Jaśkowski Natural Deduction: Fundamentally Similar but Importantly Different, Studia Logica, 102 (6), pp. 1103-1142, 2014.

Clouston, Fitch-Style Modal Lambda Calculi, Foundations of Software Science and Computation Structures (FoSSaCS) , pp.258-275, 2018.

イシドルス『語源』翻訳 I. 1,2『学芸と技術について』『自由七科について』

はじめに

テキストはOroz Reta J. and Marcos Casquero, M.-A (eds), Etymologias: Edition Bilingüe, Madrid, 1983. を使用した。Berney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳を参照した。Oroz Reta J. and Marcos Casqueroの西訳とIsidoro di Siviglia, Etimologie o origini, primo volume, a cura di Angelo Calastro Canale, UTET, 2004.の伊訳も参照した。

内容が理解しやすいよう適宜改行を行なった。

翻訳

1. 『学知と技術について』

Disciplina(学知, 学芸)はdiscere(学ぶこと)からその名を得ている1。それゆえscientia(知識)と呼ばれることもある。それはscire(知ること)がdiscere(学ぶこと)に由来してそのように呼ばれるからだ。なぜなら我々の誰もが学ぶことなしには、知ることはないからである。あるいはdisciplinaは完全に学ばれる(discitur plena)ことから、そのように呼ばれる2。技術(ars)は厳密な(artus)指示と規則からなることからそのように呼ばれる。ある人々はこの語はギリシア語のἀπό τῆς ἀρετῆς(徳によって)に由来していると言っている。ἀπό τῆς ἀρετῆςとはつまりa virtusであり、scientiaとも呼ばれていた3プラトンアリストテレスは技術と学知の間には次のような相違があるとした。技術は他のように起こり得るものに関わるものである。他方、学知は他のようには起こり得ないものに関わるものである4。それゆえ、正しい議論によってある物事が論じられる時、[その物事に関する知識は]学知となる。 もっともらしく思いなしに基づく物事が扱われる時、技術という名前で呼ばれることになる。

2. 『自由七科について』

自由学芸には七つの学科がある。

第一は文法学である。この学科は話すための技術(peritia)である。

第二は修辞学である。この学科は、雄弁の輝かしさと豊穣さゆえに、国家に関する議論でとりわけ必要であると考えられている5

第三は弁証論であり、論理学という別名がある。この学科は非常に精密な議論によって、偽であるものから真であるものを区別する6

第四は算術である。この学科は数の原理と分割についての内容を含んでいる7

第五は音楽である。この学科はcarmenとcantusからなる8

第六は幾何学である。この学科には大地の測定と測量が含まれている9

第七は天文学である。この学科には星の法則についての内容が含まれている。


  1. cf. アウグスティヌス『ソリロキア』2:11.

  2. カッシオドルス『綱要』2:3. “disciplina enim dicta est, quia discitur plena”

  3. カッシオドルス『綱要』2:3.
    “Ars vero dicta est, quod nos suis regulis artet atque con stringat: alii dicunt a Graecis hoc tractum esse vocabulum, apo tes aretes, id est, a virtute, quam diserti viri unuscuiusque rei scientiam vocant.”

  4. アリストテレス『二コマコス倫理学』第6巻3章、4章 (1139b-1140a).

  5. イシドルス『語源』翻訳 II-1 修辞学とその名称について - Asinus's blog

  6. イシドルス『語源』翻訳 II-22 弁証論について - Asinus's blog

  7. イシドルス『語源』翻訳 III 序文: 『数学について』 - Asinus's blog
    イシドルス『語源』翻訳 III-1, 2 『arithmeticaという名称について』『算術の創始者について』 - Asinus's blog

  8. Berney et al.: poems and songs, Reta&Marcos: esquemas metricos y cantos, Canale: carmi e canti. 語源III-15ではsonusとcantusからなるとしている。

  9. イシドルス『語源』翻訳 III-10 『幾何学の発見者と幾何学という名称について』 - Asinus's blog