Asinus's blog

西牟田祐樹のブログです。

イシドルス『語源』翻訳 VIII-5: 26-36『キリスト教の異端について』

はじめに

テキストはOroz Reta J. and Marcos Casquero, M.-A (eds), Etymologias: Edition Bilingüe, Madrid, 1983. を使用した。Berney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳を参照した。

内容が理解しやすいよう適宜改行を行なった。

脚注は不完全であり改訂予定である。

イシドルス『語源』翻訳 VIII-5: 1-10『キリスト教の異端について』 - Asinus's blog

イシドルス『語源』翻訳 VIII-5: 11-25『キリスト教の異端について』 - Asinus's blog

翻訳

アロゴス派1はあたかも「言葉なしで」(sine Verbo)のようにそう呼ばれる。なぜならverbumはギリシア語ではλόγος(ロゴス)と呼ばれるからである。 それは彼らが神は言葉であると信じず、ヨハネ福音書と黙示録を拒否しているからである。

カタフリュギア派(Cataphrygius)2はフリュギア地方からその名前を得ている。なぜなら彼らはそこにいたからである。カタフリュギア派の創始者はモンタノスとプリスカとマクシミラである。彼らは聖霊使徒たちにではなく、自分たちの下に到来すると主張している。

カタリ派(Catharus)3はmunditia(清浄, καθαρός, カタロス)に由来してそのように名乗った。彼らは自分たちの価値を誇っているので、悔い改めによる罪の赦しを否定している。彼らは寡婦がもし再婚したならば、姦婦だと言って非難する。また彼らは自分たちは他の者たちよりも清浄(mundus)であると説いている。彼らがもし自分たちに本当にふさわしい名前がなんであるかを知ろうとしたならば、彼らはmundus(清浄)よりもむしろmundanus(世俗的な)と自分たちのことを呼んでいただろう。

パウロ派(Paulianus)はサモサタのパウロ創始者である。彼はキリストは常に存在したのではなく、マリアから始まりを得たと言った。

ヘルモゲネス派(Hermogenianus)はヘルモゲネス4という人に由来してそのように呼ばれる。彼は生み出されていない(創造されていない)質量[という考え]を導入し、これを生み出されていない神と対比した。そして彼はこの質量は元素の母であり、女神であると主張した。使徒[パウロ]は元素に囚われている彼らを非難している5

マニ教(Manicheus)はマニとよばれるペルシア人創始者である。彼は二つの本性と実体を導入した。それは善と悪である。そして彼は魂はあたかも泉のように神から流出するのだと主張した。彼らは旧約聖書を否定し、新約聖書は部分的にだけ受け入れている。

神人同形派(Anthropomorphitae)は、田舎の素朴さによって聖書に書かれている神は人間の姿をしていると彼らが考えていることに由来してそのように呼ばれる。なぜならギリシア語のἄνθρωπος (anthrōpos)はラテン語ではhumus(人間)と翻訳されるからである。彼らは主の言葉を無視している、こう言っているからである。「神は霊である」(Spiritus est Deus)6。つまり神は非物体的であり、四肢は分かれておらず、物体的な大きさでは考えられない。

ラクレイオン派はヘラクレイオンが創始した。彼らは修道士のみを受け入れ、結婚を否定し、子供が天の王国に入ること7を信じていない。

ノウァトス派(Novatianus)はローマの司祭であるノウァトスが創始した。彼はコルネリウスに対して司教の座を奪おうと試み、[彼の]異端[の宗派]を打ち立てた。彼は棄教者を受け入れようとせず、洗礼済みの者たちに再洗礼した8

山岳派(Montanus)はキリスト教徒迫害の時に、山中(mons, 山)に隠れたことからそのように呼ばれる。この[迫害の]時に彼らは正統派教会の本体から分かれた。

エビオン派(Enionita)はエビオン[という人]に由来してそのように呼ばれる9。彼らは半ユダヤ人(semi-judaeus)である。彼らは福音を守っているが、肉において律法を守っている10だけである。彼らを批判して使徒[パウロ]がガラテア人に書いた手紙が見つかっている11


  1. ἄ(without) + λογος (logos).

  2. モンタノス派とも呼ばれる。

  3. 12、13世紀に北イタリアや南フランスで広まったカタリ派のことではない。

  4. テルトゥリアヌスが『ヘルモゲネス論駁』で詳しく批判している。

  5. 批判されているのは同名の別人である。『テモテへの第二の手紙』1:15.
    「アシアの人々が皆ーその中にはフュゲロスとヘルモゲネスがいるー私から離反したこと、このことを君は承知している[と思う。]」(以下 新約聖書翻訳委員会訳)

  6. ヨハネ福音書』4:24.

  7. 『マルコ福音書』10:13-16 及び並行箇所。
    「子供たちを私のところに来るままにさせておけ。彼らの邪魔をするな。なぜならば、神の王国とは、このような者たちのものだからだ。アーメン、あなたたちに言う、神の王国を子供の[受け取る]ように受け取らない者は、決してその中に入ることはない」。

  8. エウセビオス『教会史』6:43-45.

  9. 実際はヘブライ語אֶבְיוֹן (evyōn, 貧しい)に由来している。

  10. 食事規定や祭儀規則などのことであろう。

  11. 『ガラテア人への手紙』6:12.
    「肉においていい顔をしたいと欲している[あの]者たちはすべて、割礼を受けることをあなたがたに強要しているのである。それはただ彼らが、キリストの十字架[を宣教すること]によって迫害されることがないためである。」