Asinus's blog

西牟田祐樹のブログです。

イシドルス『語源』翻訳 II-28 弁証論的推論について

はじめに

テキストはP.K.Marshell, Etymologies. Book II, Rhetoric with translation and commentaties, Paris, 1983. を使用した。また同書中の英訳とBerney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳も参照した。

また本箇所でイシドルスが用いたソースはカッシオドルスの『綱要』(institutiones), 2.3.12-14である。 以下のサイトでテキストを確認することができる。
https://www.documentacatholicaomnia.eu/03d/0484-0585,_Cassiodorus,_Institutiones_Divinarum_Saecularium_Letterarum,_LT.pdf

https://faculty.georgetown.edu/jod/inst-trans.html

読みやすさのためにレイアウトを多少変更した。

翻訳

弁証論的推論について

続いて弁証論的推論(dialecticus syllogismus)についての説明が続く。ここではこの技術(三段論法)全体の有用性と卓越性が明らかになる。三段論法の帰結は多くの読者にとって結論が偽である詭弁によって論争相手を欺くような誤謬から免れることができるという点で真理を探究する助けとなるだろう。

定言三段論法、つまり述定三段論法の格は三つある。第一格には九つの式がある。

第一式

第一式は[二つの]全称肯定(dedicativum)[の前提]からから全称肯定[の結論]を直接に導く(つまり得る)ような三段論法である。例えば次のものがそうである。

「すべての正しいことは高潔なことである: すべての高潔なことは善いことである: それゆえすべての正しいことは善いことである」

第二式は全称肯定と全称否定(abdicativum)から全称否定を直接に導くような三段論法である。例えば次のものがそうである。

「すべての正しいことは高潔なことである: いかなる高潔なことも恥ずべきことではない: それゆえいかなる正しいことも恥ずべきことではない」

第三式は特称肯定と全称肯定から特称肯定を直接に導くような三段論法である。例えば次のものがそうである。

「ある正しいことは高潔なことである: すべての高潔なことは有益なことである: それゆえある正しいことは有益なことである」

第四式は特称肯定と全称否定から特称否定を直接に導くような三段論法である。例えば次のものがそうである。

「ある正しいことは高潔なことである: いかなる高潔なことも恥ずべきことではない: それゆえある正しいことは恥ずべきことではない」

第五式は[二つの]全称肯定から特称肯定を換位によって導くような三段論法である。例えば次のものがそうである。

「すべての正しいことは高潔なことである: すべての高潔なことは善いことである: それゆえある善いことは正しいことである」

第六式は全称肯定と全称否定からから全称否定を換位によって導くような三段論法である。例えば次のものがそうである。

「すべての正しいことは高潔なことである: いかなる高潔なことも恥ずべきことではない: それゆえいかなる恥ずべきことも正しいことではない」

第七式は特称肯定と全称肯定からから特称肯定を換位によって導くような三段論法である。例えば次のものがそうである。

「ある正しいことは高潔なことである: すべての高潔なことは有益なことである: それゆえある有益なことは正しいことである」

第八式は全称否定と全称肯定からから特称否定を換位によって導くような三段論法である。例えば次のものがそうである。

「いかなる恥ずべきことも高潔なことではない: すべての高潔なことは正しいことである: それゆえある恥ずべきことは正しいことではない」

第九式は全称否定と特称肯定からから特称否定を換位によって導くような三段論法である。例えば次のものがそうである。

「いかなる恥ずべきことも高潔なことではない: ある高潔なことは正しいことである: それゆえある正しいことは恥ずべきことではない」

第二格

第二格には四つの式がある。

第一式は全称肯定と全称否定からから全称否定を直接に導くような三段論法である。例えば次のものがそうである。

「すべての正しいことは高潔なことである: いかなる恥ずべきことも高潔なことではない: それゆえいかなる恥ずべきことも正しいことではない」

第二式は全称否定と全称肯定からから全称否定を直接に導くような三段論法である。例えば次のものがそうである。

「いかなる恥ずべきことも高潔なことではない: すべての正しいことは高潔なことである: それゆえいかなる恥ずべきことも正しいことではない」

第三式は特称肯定と全称否定からから特称否定を直接に導くような三段論法である。例えば次のものがそうである。

「ある正しいことは高潔なことである: いかなる恥ずべきことも高潔なことではない: それゆえある正しいことは恥ずべきことではない」

第四式は特称否定と全称肯定からから特称否定を直接に導くような三段論法である。例えば次のものがそうである。

「ある正しいことは恥ずべきことではない: すべての悪しきことは恥ずべきことである: それゆえある正しいことは悪しきことではない」

第三格

第三格には六つの式がある。

第一式は[二つの]全称肯定からから特称肯定を直接と換位によって導くような三段論法である。例えば次のものがそうである。

「すべて正しいことは高潔なことである: すべての高潔なことは正しいことである: すべての正しいことは善いことである: それゆえある高潔なことは善いことである, ある善いことは高潔なことである」

第二式は特称肯定と全称肯定からから特称肯定を直接に導くような三段論法である。例えば次のものがそうである。

「ある正しいことは高潔なことである: すべての正しいことは善いことである: それゆえある高潔なことは善いことである」

第三式は全称肯定と特称肯定からから特称肯定を直接に導くような三段論法である。例えば次のものがそうである。

「すべての正しいことは高潔なことである: ある正しいことは善いことである: それゆえある高潔なことは善いことである」

第四式は全称肯定と特称否定からから特称否定を直接に導くような三段論法である。例えば次のものがそうである。

「すべての正しいことは高潔なことである: いかなる正しいことも悪しきことではない: それゆえある高潔なことは悪しきことではない」

第五式は特称肯定と全称否定からから特称否定を直接に導くような三段論法である。例えば次のものがそうである。

「ある正しいことは高潔なことである: いかなる正しいことも悪しきことではない: それゆえある正しいことは悪しきことではない」

第六式は全称肯定と特称否定からから特称否定を直接に導くような三段論法である。例えば次のものがそうである。

「ある正しいことは高潔なことである: ある正しいことは悪しきことではない: それゆえある高潔なことは悪しきことではない」

定言三段論法のこれらの格についてさらに詳しく知りたい者はアプレイウスの『命題論』と題された本を読めばこの主題についてのより詳細な内容が学べるだろう。[この本の]明確でありよく考えられた事柄は高みにまします主の助けによって有益にも知性の大いなる道へと読者を導き入れるだろう。

仮言三段論法

今や次の順序で[学ぶもので]ある仮言三段論法へとたどり着いた。何らかの結論が生じるような仮言三段論法の式(modus, 様式)は七つある。

第一式は次のものである。

「もし昼ならば、光がある: そして昼である: それゆえ光がある」

第二式は次のものである。

「もし昼ならば、光がある: そして光がない: それゆえ昼ではない」

第三式は次のものである。

「昼であり光がないことは不可能である: そして昼である: それゆえ光がある1

第四式は次のものである。

「昼であるか夜であるかのいずれかである: そして昼である: それゆえ夜ではない」

第五式は次のものである。

「昼であるか夜であるかのいずれかである: そして夜ではない: それゆえ昼である」

第六式は次のものである。

「昼であるかつ光がないではない: そして昼である: それゆえ夜ではない」

第七式は次のものである。

「昼かつ夜ではない: そして夜ではない: それゆえ昼である」

仮言三段論法の式についてより詳しく知りたい者はマリウス・ヴィクトリアヌスの『仮言三段論法について』と題された書を読むとよい。

これより定義の弁証論的な種類に取り掛かろう。このことは卓越した価値があり、特徴の表示(indiciorum manifestationes)と表現のある種の特徴(quaedam indicia dictionum)を明確にすることができる。


  1. “Non est < dies est et non lucet>: atqui dies est: lucet igitur.” ここは"Non et dies est"の方が内容上自然であるが、Marshellによるとイシドルス が用いていたカッシオドルスのマニュスクリプトの誤りに起因するようである。Marshellに従いテキストは変更せず"non est"をギリシア語の"ouk estin"のように読んで訳出する。