Asinus's blog

西牟田祐樹のブログです。

Dialectica Monacensisのディアレクティカ(1)

はじめに

 逸名著者によるDialectica Monacensisのディアレクティカに関する箇所を訳出する。テキストはL.M. de Rijk, Logica Modernorum: a Contribution to the History of Early Terminist Logic: Vol II - Part II, Van Gorcum,1967 (pp.461-462)を使用した。同書pp.459-460の箇所は以下のサイトで英訳が読める。 https://faculty.fordham.edu/klima/Blackwell-proofs/MP_C02.pdf

分量が長くなるので次の節は別の記事で訳出する。

翻訳

知識の分割について

 弁証論(dialetica)はいわば全ての他の知識への道(via, 手段)であるので、この論考では初めに知識(scientia, 学)の分類を定める。しかし後に明らかになるように、まず初めに人間の実体(substantia humanae)における三つのもの(tria)、つまり魂、肉体、それらの混合に応じて人間あるいは人間の自然本性(humanae natura)が悩まされ貶められているところの三つのものが存在することを知らねばならない。無知は魂である部分から生じ、欠乏は肉体である部分から生じ、悪徳はそれらの混合である部分から生じる。それら三つのものに対して人間は創造主から三つの救済(remedium)が与えられている。つまり魂においては魂を無知から自由にする(liberalis)知識あるいは自由学芸(artes liberales)を獲得する能力であり、欠乏に対しては機械技術(artes mechanicas)を獲得する能力である。機械技術によって欠乏が取り除かれる。悪徳に対しては徳を獲得する能力が与えられている。

 三つのもの(魂、肉体、混合)に応じて哲学あるいは知識の三つの部分への第一の分割がなされる。つまり魂である部分からはことばの学(rationalis)、肉体に関する限りでは自然学、それらの混合に関する限りでは倫理学である。  それらの内のどれもが複数の再分割を許す。そのことについてはすべて省略し、ここで問題であること、つまり哲学におけることばの学に関してのみ分割しよう。

 文法学とは音節における文字、語における音節、そして文における語の適切な配置を教えるものである。

 修辞学とは弁論(causa)の三つの類、つまり演示的なもの、審議的なもの、裁判的なものについて述べる学である。

 弁証論とは『分析論前書』にあるような単純三段論法について扱う学である。しかし弁証論は『分析論後書』と『トポス論』と『ソフィスト的論駁』にある追加的部分も扱う。そして『カテゴリー論』(Predicamentorum)と『命題論』の[三段論法の]構成的部分も扱っている。

 それゆえ弁証論全体の目的は三段論法の知識に関わるので、ーこのことから全ての論理学著作で三段論法自体か三段論法論法の追加的あるいは構成的部分が論じられるということは明らかであろうーそれゆえに教え学ぶことで主要なものは三段論法あるいは論証の性質である。しかしそれが何であるかということが知られることなしにはいかなるものも全く知られることはない。それゆえ三段論法の諸部分へと降り行こう。初めに弁証論(dyaletica)とは何であり、なぜdyaleticaと呼ばれるかを理解せよ。