Asinus's blog

西牟田祐樹のブログです。

イシドルス『語源』翻訳 III-4 『数の卓越性について』

はじめに

テキストはOroz Reta J. and Marcos Casquero, M.-A (eds), Etymologias: Edition Bilingüe, Madrid, 1983. を使用した。同書の西訳とBerney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳と以下の文献中の英訳を参照した。

Brehaut Ernest, An encyclopedist of the Dark Ages: Isidore of Serville, Columbia University, 1912.

この文献は以下のサイトで読むことができる。

https://archive.org/details/encyclopedistofd00brehrich/page/n9/mode/2up

注ではヴルカタ訳聖書のテキストは以下のサイトを使用した。 http://vulsearch.sourceforge.net/html/index.html

注での旧約聖書からの引用は以下のサイトから新共同訳を使用した。 聖書本文検索 | 日本聖書協会ホームページ

翻訳

数の卓越性について

数学(ratio numerorum)は無視されるべきではない。聖書の多くの箇所より数がどれほどの神秘を含んでいるかは明らかである。なぜなら「長さや数や重さにおいて万物をお創りになった」(Omnia in mensura et numero et pondere fecisti)1と神が賛美されてるのは故無くしてではないからである。その諸部分によって完全である6という数はその数の持つある意味によって世界の完全性を表している2。同様に数を知ることなしには、モーセとエリヤと主[キリスト]が断食したのは40日であるということは理解されないだろう3

聖書の様々な箇所で数が表れており、その象徴(figura)は数学を知ることなしには解かれ得ないだろう4。そしてある部分では我々は数学の下にある[数学に依存している]ということを我々は認めている。それは数学によって日を名付ける時や、月の運行の長さについて議論する時や、年が一周する長さを理解する時がそうである。なので我々は混乱しないように数によって教えられる(instruior)のである。万物から数を取り去ってみよ、万物は消滅するであろう。この世から計算(conputum)を取り去ってみよ、万物は暗い無知で覆い隠されるであろう。そして計算するすべを知らない人間は他の動物たちから区別することは出来ないだろう。

(Tolle numerum in rebus omnibus, et omnia pereunt. Adime saeculo conputum, et cuncta ignorantia caeca conpletitur, nec differri potest a ceteris animalibus, qui calculi nesciunt rationem.)


  1. 『知恵の書』11:21

    Sed et sine his uno spiritu poterant occidi,
    persecutionem passi ab ipsis factis suis,
    et dispersi per spiritum virtutis tuæ :
    sed omnia in mensura, et numero et pondere disposuisti.

    20:知恵の書/ 11章 20節
    たとえ動物を用いなくても、/一息で彼らを倒すことがおできになる。彼らを正義によって責めたて、/あなたの力ある息で滅ぼすことによって。しかしあなたは、長さや、数や、重さにおいて/すべてに均衡がとれるよう計らわれた。

  2. cf.『創世記』1:31
    Viditque Deus cuncta quæ fecerat, et erant valde bona. Et factum est vespere et mane, dies sextus.

  3. 出エジプト記』24:18 , 『列王記 上』19:8, 『マタイ』4:1-11, 『マルコ』1:12-13, 『ルカ』4:1-13.
    cf. 『創世記』7:11, 7:17 , 『申命記』8:2-3, 29:4-5.

  4. cf. アウグスティヌスキリスト教の教え』2:25.