Asinus's blog

西牟田祐樹のブログです。

偽プラトン『カワセミ』翻訳

はじめに

プラトン(とリュシアス)の偽作である『カワセミ、または変身物語』を翻訳する。

この著作のより詳しい情報については以下の記事を参照。

偽プラトン『カワセミ』著作情報 - Asinus's blog

テキストはThe Loeb Classical Library Lucian VIII, Harvard University Press, 1967, pp.306-316を使用した。同書英訳とPlato Complete Works, Hackett Publishing Company, 1997, pp.1715-1717の英訳も参照した。段落については読みやすいように一部変更した。

日本語訳には以下のものがある。

偽ルゥキアーノス『カワセミ』

翻訳

カイレポン

何の声が聞こえたのでしょうか、ソクラテスさん、遠くの海岸とあの岬から聞こえました。なんと耳に心地よいでしょう。一体何の動物が鳴いているのでしょうか。それというのも水の中で生きる動物は鳴かないのですから。

ソクラテス

海鳥でカワセミ(ἀλκυών, アルキュオン)と呼ばれている鳥だよ、カイレポン。とても嘆いて泣き哀しんでいる鳥さ。この鳥については古の物語(λόγος)が人々により語り継がれたのだよ。それによるとアルキュオンはかつてはヘレンの息子アイオロスの娘である女であって、愛ゆえに夫の死を嘆き悲しんだ。夫は明けの明星であるへオスポロスの息子であるトラキアのケユクスであって、美しき父の美しき息子であった。そして何らかのダイモーンの意思によって鳥の様に翼が生え、夫を探して海を飛び回っている。地上のあらゆるところを放浪しているが夫は見つかっていないのだよ。

カイレポン

あれがあなたのおっしゃるカワセミなのですか。今まで声を聞いたことがありませんでした。しかもあの声は私には耳慣れないもののように聞こえました。確かに実際この動物は悲しげな声で鳴いています。カワセミはどれくらいの大きさなのですか、ソクラテスさん。

ソクラテス

大きくはないよ。それでも神々から夫への愛ゆえに大きな名誉を授けられているんだ。なぜならカワセミが巣作りをする時には、世界(κόσμος)はカワセミの日々(ἀλκυονίδες)と呼ばれる、好天によって区別される日々をもたらしてくれるからだ。特に今日がそのような日だよ。頭上の空がどれほど晴れ渡っているかが見えないかい。海全体が波もなく静かで、いわば鏡のようじゃないか。

カイレポン

確かにそうですね。今日はカワセミ日和であるように思います、昨日もそうでした。しかし神々にかけて、ソクラテスさん、一体全体どうやってかつて鳥から女になったり、女から鳥になったりするような昔話が信じられるでしょうか。そういったことは全部、まったく不可能であるように思います。

ソクラテス

カイレポン君よ、僕らはまったく可能なことと不可能なことの近視眼的な裁判官のようではないか。なぜって人間の能力に従ってこれらを判断しているからだ。人間の能力は未知で信用できず目に見えないというのに。それゆえ容易な多くの物事が我々には困難に思え、到達できる多くの物事が到達不可能に思えるのだ。多くは我々の無経験のせいであり、また多くは我々の精神の子供っぽさのせいだ。なぜなら実際すべての人間は子供であるように思われる。それが老人であってもである。それというのも人間の人生はすべてのアイオーンと比べれば非常に短く若いからだ。友よ、だがどうして神々とダイモーンの力や自然全体の力に無知な人間がそれらのことが可能か不可能かを理解することができるだろうか。 カイレポンよ、おとといの嵐がどれほどすごかったのかを見たかい。おとといの稲妻や落雷やものすごい風の大きさを考えたら恐怖が湧き上がるだろう。全世界が崩壊するかのように思われただろう。

だがその少し後には天候は驚くほど回復し、晴天が現在まで続いている。それであのような抗い難い嵐と騒乱をこのような晴天に変え、全世界に平穏をもたらすことと、女の姿を鳥の姿へと変身させることのどちらがより優れており困難なことだろうか。実際こういうことにかけては、粘土や蝋で形を作ることができる僕たちのところの小さな子でさえ、何度も同じ大きさのものからさまざまな種類の形を作るのだ。ダイモーンは大いなる我々とは比べものにならないほど卓越した力を持っているので、おそらく実際このようなことは全部容易なことなのだ。そこで君は天界(οὐρανός)全体は君自身よりもどれほど大きいと考えているのだろうか、言ってみてくれ。

カイレポン

誰がそのようなことを考えたり言い表したりすることができるでしょうか、ソクラテスさん。なので私は言うことができません。

ソクラテス

それではそれぞれの人を互いに比較する時、能力と無能力について莫大な大きさの違いがあるのではないか。成人は生まれてからほんの5日や10日のような乳児と比べれば、生活におけるほとんどすべての行動について能力は驚くほど優越している。それらは自身の技術によって様々な手段を用いて成し遂げられるだけではなく、肉体と魂を働かせることによっても成し遂げられるのだ。しかしすでに述べたように、それらのことは幼い子の心には思い浮かぶこともできないように思われる。一人の成人の力の強さは幼児と比べて計り知れないほど優越している。なので一人の成人が無数の幼児を容易に打ち負かすことができるのだ。人生の始めには自然により(κατά φύσιν)すべてのことがまったく困難であり、できないであろう。

ある人が他の人と非常に異なると思えるときに、我々の力に対する天体全体はそれらの事柄を観想する(θεωρεῖν)ことに至った人にとってはどのように現れると考えればよいだろうか。宇宙の大きさがソクラテスやカイレポンの姿形よりも卓越しているのと同じくらいに類比的に宇宙の力(δύναμις)と思慮(φρόνησις)と知性(διάνοια)は我々の状態と異なっているのはもっともらしいと多くの人が考えるだろう。

君や僕や他の多くの人にはその他の人にはできない多くのことが非常に容易だ。知識がない時に笛が吹けない人が笛を吹くことや読み書きができない人が熟達した仕方で読んだり書いたりすることは、鳥を女にすることや女を鳥にすることよりも、もっとずっと不可能なことなのだ。

自然は巣の中に足も羽もない動物を置いた1。そしてその動物に足と羽を与え、様々な美しい色によって飾りつけ、神的な蜂蜜の賢き作り手であるミツバチを作り出した。さらに大いなるアイテールの聖なる技術(と呼ばれることもある技術)を用いて、声がなく魂もない卵から、自然は多くの種類の有翼や陸生や水生の動物を作り出す。

不死なるものどもの力は広大である。そして死すべきものどもの力は極めて小さく、大きな物事も小さな物事も見て取ることができず、我々に降りかかるほとんどの物事に行き詰まってしまう。それゆえ、死すべきものどもはアルキュオンについてもナイチンゲールについても確信を持って語ることができないのだ。

先祖たちが私たちに伝えたようにあなたの歌についてのこの物語の名声を私の子供たちにも伝えよう、おお悲く美しき調べの鳥よ。そして僕は何度もあなたの敬虔さと夫に対する愛を私の妻であるクサンティッペとミュルト2にも伝えよう。特にあなたが神々から授けられた名声を語ろう。君もそのようにするのではないかい、カイレポン君。

カイレポン

確かにそういたします、ソクラテスさん。あなたのおっしゃったことは妻と夫のつながりについての二重の勧めとなるでしょう。

ソクラテス

それではカワセミにお暇を告げる時間だ、パレロンから町へ戻るとしよう。

カイレポン

そうですね、ではそういたしましょう。


  1. ミツバチの幼虫のこと。
  2. ミュルトについては以下を参照。
    ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』2.5.26.
    Diogenes Laertius, Lives of Eminent Philosophers, BOOK II, Chapter 5. SOCRATES (469-399 B.C.)
    プルタルコス『アリステイデス伝』27.
    Plutarch • Life of Aristides