Asinus's blog

西牟田祐樹のブログです。

Logica "ut dicit"の仮言命題

はじめに

逸名著者によるLogica "ut dicit"の仮言命題に関する箇所を訳出する。テキストはL.M. de Rijk, Logica Modernorum: a Contribution to the History of Early Terminist Logic: Vol II - Part II, Van Gorcum,1967 (p.382)を使用した。

Logica "ut dicit"の仮言命題について特筆すべき点は選言に'vel'ではなく、'aut'が使われている点である。通常はaut A aut B (either A or B)の形で排他的選言としてよく使用される語であり、ボエティウス以降このautが選言として使用されてきたが、ここではautは両立的選言として使用されている。用いられている例は 'Socrates currit aut Plato disputat'であり、本作品と類似した内容であるArs EmmeranaとArs Buranaではいずれも'vel'が用いられている。また、本作品では仮言命題の種として三つあるいは五つが挙げられているが、Ars EmmeranaとArs Buranaではcausalisとadjunctaを含めて七つである。本作品では条件仮言命題がこれらの仮言命題を含んでいるものであると考えられる。

 本作品では時間、場所の接続詞が他の三つと分けて論じられていることより、ボエティウス以来の仮言命題の本性的/時間的による分割はもはや重視されていないと考えることが出来る。時間と場所の接続詞を仮言命題に含めないような立場を取るならば、もはや上述の分割は成り立たないからである。

翻訳

 命題とは真または偽を表示作用する言表である。同様に、命題の内あるものは定言であり、あるものは仮言(ypotetica)である。ypoteticaは'sub'である'ypos'と'positio'である'thesis'に由来してそのように呼ばれる。つまりypoteticaはsupposita positio (従属した位置)あるいはsupposita locutio (従属した発話)と同様である。なぜなら一つの命題が他の命題の下に置かれる(supponitur)からである。二つの命題が連結の接続詞によって結合されている時、仮言命題は連結的命題であり得る。例えば 'Socrates currit et Plato disputat' (ソクラテスが走りかつプラトンが議論する)がそうである。二つの命題が選言的接続詞 (conjunctionem disjunctivam)によって結合されている時、仮言命題は選言的命題であり得る1。例えば 'Socrates currit aut Plato disputat' (ソクラテスが走るかプラトンが議論する)がそうである。あるいは二つの命題が接続詞'si'によって結合されている時、仮言命題は条件的命題であり得る。例えば 'si Socrates currit, Socrates moveri potest' (もしソクラテスが走るならば、ソクラテスは動くことが出来る)がそうである。

 他にもypoteticaは'conditio'である'ypotesi'に由来したものとしてそう呼ばれることがある。このような方式では条件的命題が仮言命題である。

 仮言命題には五つの種があるという人もいる。つまり前述の三つと、以下の二つの種である。[一つ目は]二つの命題が場所の副詞によって結合されている時である。例えば'Socrates currit ubi Plato disputat' (プラトンが議論する場所でソクラテスは走る)がそうである。そして[もう一つは]二つの命題が時間の副詞によって結合されている時である。例えば'Socrates currit quando Plato disputat' (プラトンが議論する時、ソクラテスは走る)がそうである。 


  1. それぞれ分離的接続詞、分離的命題と訳すことも出来る。