はじめに
テキストはP.K.Marshell, Etymologies. Book II, Rhetoric with translation and commentaties, Paris, 1983. を使用した。また同書中の英訳とBerney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006の英訳も参照した。
また本箇所でイシドルスが用いたソースはカッシオドルスの『綱要』(institutiones), 2.3.2-3である。 以下のサイトでテキストを確認することができる。
https://www.documentacatholicaomnia.eu/03d/0484-0585,_Cassiodorus,_Institutiones_Divinarum_Saecularium_Letterarum,_LT.pdf
https://faculty.georgetown.edu/jod/inst-trans.html
翻訳
弁証論と修辞学の違いについて
ヴァッロは九巻本『学問論』(disciplinarum libri)で弁証論と修辞学を次のように類比的に定義している。「弁証論と修辞学は人間の手で言えば握った拳と開いた手のひらのようなものである。前者は言葉を圧縮し、後者は言葉を展開する。」1 (Dialectica et rhetorica est quod in manu hominis pugnus adstrictus et palma distensa: illa verba contrahens, ista distendens.)
これは弁証論は論じることに関してより鋭いものである一方で、修辞学はより雄弁に説明することに努めるものだからである。前者は時々学校[の講義内容]に現れるが、後者は絶えず公共広場(forum)に現れる。また、前者は希少な探求者(studiosus)を必要とするが、後者はしばし大衆(populus)を必要とする。イサゴーゲー(Isagoge, 入門)2の説明に至る前に哲学者たちは通常、哲学の定義を明らかにする。そうすることでイサゴーゲーに関する事柄がより容易に説明されるようになるからである。